俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

悩みの時期、突き進む時期、残す時期、それぞれの世代にそれぞれの時期がある。

十代、二十代は悩める時期。三十代、四十代は突き進む時期。五十代は残す時期だと俺は思っている。


十代、二十代の人達は大いに悩め。悩んで悩んで、出口の見えないトンネルの中に居る気分になることも有るだろう。でも、決してあなただけがそうなのではない。皆が本当は出口の見えないトンネルの中に居る。その恐怖心と不安感から自分を解き放ちたいがために、時には世間に対し反発し、反抗し、時には落ち込み、苦しむ。
でも、一つだけ忘れないで欲しい。自分の目指すべき道を探すという事だ。自分は何を極めたいのかをしっかりと見つける事だ。その道を目指すために、時に世間に反抗し、反発しても構わない。時に、大いに落ち込んでも構わない。道さえしっかりと見失わずにいれば、今居る自分の立ち位置はその道を極めるための手段だと思えばいい。理不尽な事もあるだろう。大人や先輩達のもっともらしい理屈を聞かされ、押し付けられることも有るだろう。でも、それもすべて、自分が極めるべき道に達するための手段なんだ。
「若い」という理由だけで認められない事も沢山あるだろう。悔しいだろう。わかるよ。でも、「若い」からこそ、失敗も出来るし、反発、反抗も出来る。全てが手段なんだ。


三十代、四十代は、悩んでいるヒマがあったら考えろ。考えているヒマがあったらとにかく行動しろ。動くんだ。自らが動くんだ。中間管理職になっている人も、どうでない人も、デスクの前で指示を待つ、指示を出すようではダメだ。自らが動くんだ。そして、全ての動きの意味をしっかりと考えるんだ。失敗した原因、成功した原因、全てに意味がある。その意味をしっかりと考え、記憶に残すことだ。全てが自らの肥やしになる。
今の地位に満足することなく、かといって、地位にばかりしがみつくこともなく、間をしっかりと見据えて進むのみだ。
時には後退する事もあるだろう。それも肥やしだ。失敗も成功もすべてが肥やしである。成功だけが肥やしではない。


五十代に入ったら、次の世代に自分が何を残せるかを考える時期に入る。自分のレガシーをしっかりと記録する時期に入る。特に、失敗した記録を残すことが大切だ。成功というのは、その時代背景も大きく影響する。20年も30年も前の成功事例など化石でしか過ぎない。いや、今の時代、昨日の成功も翌日には化石になっている。
しかし、失敗は時代背景に関係なく貴重な財産になる。失敗のほとんどが、人的要因だからだ。ほんの少しの気のゆるみが失敗につながる。あの時もっと自分が気を付けていたら、気を抜かなければ、過信しなければ失敗はなかったというものがほとんどだ。
どれだけIT部門が発展しても、やはり最後は人間だ。ネット情報も結局はそれを活用するのは人間であり、解釈するのも人間なのだから。だからこそ、失敗という記録は後世に残せる財産なんだ。


六十代以降の事については今の俺には判らない。何故ならば、まだ俺自身が経験したことがないからだ。自分が経験したこともない事を、知ったかぶりして書くという事は俺には出来ない。


56年間生きてきて、俺が実際に感じたことを書いてみた。人によっては「違う」と言う人もいるだろう。だったら、それをきちんと記録として残して欲しい。それが、俺達の後輩たちの生き方へのヒントになるかもしれないだろう。


俺と同じシニア世代のみんな、どうか、頭ごなしに今の後輩たちに「これが正しい」「これが今までのやり方だ」「これが常識なんだ」と押し付ける様は事はしないで欲しい。後輩たちの話に耳を傾けよう。そこから学ぶことも多いと思うぜ。


最後に、全ての世代の人に言いたい。人間、生きている間は常に勉強だ。日々、色々な事を学ぶ。同級生、同僚、先輩、後輩から学ぶことの連続だ。どの教えも、否定から始まるな。否定から始まると何も学べない。その意味を考えるんだ。
どうしても理解できない事は、無理に理解する必要などない。でも、無視するな。記憶の片隅に留めておけ。いつかその意味が理解できる日がくるかも知れないから。無視して、記憶から消してしまうと、一生、意味が判らず、その分、自分という器が小さくなってしまうから。


俺はそう思うけどなあ。

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