俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

台湾の何を知っているの?


日本人の好きな外国のベスト3に台湾は入るだろうなあ。
理由は「親日派の人が多い」「日本から近く、治安も良い」「台湾人は優しい」等々。


でも、本当に日本人はどこまで台湾を理解しているのだろうか。


「台湾で初めての日本人移民村は何年にどこに出来たか?」という問いに今まで正解した人はいなかった。答えは「1904年、花蓮縣(当時の花蓮港廳)呉全に出来た賀田村」。
中には「1910年の同じく花蓮縣の吉野村」と答える人がいるが、これは、日本の書物が悪い。国営日本人移民村としては吉野村が最初だが、その前に、民間日本人移民村である賀田村が、賀田金三郎という民間人によって開村されている。


「台湾人は優しい」これは、あくまでも外国人に対して。同じ台湾人同士だとそうはならない。例えば、バイクと車の事故が目の前で発生したとしよう。日本ならば、近くの人達が怪我人を介護したり、110番、119番に電話するだろう。しかし、台湾の場合は、平然とその横をスルーしていく。誰も助けるという事はしない、「面倒に関わりたくない」という考えなのだ。


「治安が良い」これも一昔前の話。今は、拳銃による事件は日常茶飯事。若者の暴動も同じ。白昼堂々と拳銃を打つ。警察もすぐに発砲する。


悪い事ばかりではない。例えば、花蓮には数多くの日本統治時代の建造物が保存、修復されている。これはすべて地元の人達が運動を興し、その結果、地元と行政がお金を出し合って残されている。日々の管理は、地元の方々のボランティアによって行われている。
でも、日本からの支援は一円もない。それどころか、観光客のほとんどは、台湾西部に集中し、たまに花蓮にまで来ても、太魯閣渓谷観光で日帰り。


俺は台湾とご縁が出来て32年。住んでいる年数は、19年。それでもまだまだ台湾の事、台湾人の事で判っていないことの方が多い。当然だ。何年台湾に住もうと、何年台湾と関わろうとも、俺は台湾人には成れない。国籍だけの問題じゃない。俺はやっぱり日本人なんだ。台湾人ではない。生まれた場所も、育った環境も、受けた教育も、すべてが日本だった俺が、台湾人になれるはずがない。


「自分は台湾通」と豪語している人もいるが、俺から言わせれば「何が台湾通だ。台湾の何を知っているんだ!」って言いたいね。


海外へ行くとき、常に謙虚な気持ちでいて欲しい。知ったかぶりせず、慣れたふりせず、常に、自分は「訪問者」、「観光客」であるという事を忘れないでほしい。


そうすれば、横暴な振る舞いもなくなるだろうし、現地の人を心を傷つけるような言動もなくなるだろうし、何よりも、学ぶことが増えると思う。


日本国を一歩外に出れば、そこでは俺たちは外国人。訪問者。
日本の名に恥じない言動をしたいよな。


俺はそう思うけどなあ。

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