俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

皆に与えられた唯一の平等、それは「自由」その中で一番の幸せは?

人間にとっての幸せってなんだろう。


お金持ちになることが一番の幸せだという人もいるだろう。
健康でいることが一番の幸せだという人もいるだろう。
仕事で成功(会社で出世)することが一番の幸せさという人もいるだろう。
家族仲良くが一番の幸せだという人もいるだろう。


「幸せ」の価値観は人によってみんな違う。


そこで考えてみた。俺達日本人は、民主主義国家で生きているので、それなりの自由は手に入れた。「自由(もちろん、ルールのある自由)」は金で買うことは出来ない。
それを俺達は生まれた時から当たり前のように手に入れている。全ての日本人に平等に与えられた唯一の財産だろう。


ただし、この自由をてに入れた時点から、自由競争が始まる。俺は、自由競争可能な世界においては「平等」は有り得ないと思っている。
自由を手に入れながら、平等までをも手に入れる事は不可能だ。資本主義社会では平等は手に入れる事は出来ない。常に、競争あるのみの社会。
競争があるという事は、勝者と敗者が必ずある。これは避けられないことだ。


例えば、受験もそうだ。成績の良い者と悪い者とでは、進める学校も変わってくる。それが入社試験にまで関わっているのは俺は時代遅れだと思っているが。


あらゆる意味で仕事の出来る人間は、会社内で出世コースを歩む。出世すれば、収入も増える。万年、係長と比べれば、当然、収入面で大きな差が出る。それが、家庭にまで影響する。


俺達シニア世代は、団塊の世代の人達に厳しく教育を受けてきたよな。そして、団塊の世代の人達と一緒になって、激化する競争社会を必死に生きてきた。
出世した奴、しなかった奴、独立して成功した奴、しなかった奴。
結果は色々だどうが、みんな、自分なりに必死に生きてきたよな。


だからこそ言える事だが、平等など存在はしなかった。違うかい?


俺は、意味もなく「平等」と称えることには違和感を感じる。何度も言う様だが、俺達は生まれた時に「自由」という素晴らしい生きる道を平等に与えられた。資本主義社会で与えられる唯一の平等が自由だ。


俺は若い人に言いたい。平等に与えられた自由を有効利用して欲しい。あらゆる可能性にチャレンジ出来るのも、自由だからだ。
卒業した学校なんて関係ない。就職した会社名など関係ない。
大事な事は、あなたが今、必死に取り組んでいる仕事に対し、本当に自分自身を誇れる仕事かってことだ。自分を誇れる仕事を見つけて欲しい。


自由なんだ。何度失敗しても、また立ち上がることが出来る。


俺は今、自分自身が誇れる仕事をしている。自己満足でもいい。いや、自己満足できる仕事をしてこそ、意味がある。だから、誇れるのかも知れない。
俺にとってはそれが一番の幸せ。もちろん、素晴らしい妻と出会えた事も一番の幸せだ。
欲張りかもしれないが、誇れる仕事と誇れる妻、この二つが一番の俺の幸せだな。

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