俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

「比べる」から「引き出す」への変化が必要

生きるって本当に大変だよなあ。幾つになってもそれは思う。
10代の頃には10代の頃の悩みがあり、20代には20代の、30代には30代の、40代には40代の、50代には50代の悩みがある。
その悩みに大きいも小さいもない。その年代ではどれもが大きな悩みなんだから。


悩みながら人は成長していくものなんだよな。頭では判っている。でも、出来れば悩みのない人生を送りたいと誰もが思う。
でも、現実的に悩みの無い人生、それはあり得ないことだ。だから人間は悩み続け、成長し続けるのだろうな。


悩みの原因の一つは、他人と比べるという点にあると俺は思う。成績、恋愛、出世、すべて他人と比べるから悩みへとつながる。しかし、残念なことに、人間社会というものはこの「比べる」ということから価値観を生み出そうとする。「比べる」ということからは逃げられない様な仕組みになっている。
だったら、せめて自分自身だけでもこの「比べる」という卑屈な仕組みから自分を解放してやる努力は必要だ。
「自分は自分」。他人のためにある人生じゃない。自分にだけ与えられた人生なんだ。だから、他人と比べるなんてことはしない様に努力しようぜ。
そりゃあ、そう簡単にはいかないのは判っている。世の中の仕組みが「比べる」ことから始まっている中で、自分だけは「比べる」ことをしないなんて、神業の様なことかもしれない。


実際に学校では成績ですべてが決められる。社会人になると肩書ですべてが決められるという悪い習慣が染みついている。


どうしてこんな世の中になったのかと嘆いてみても何の解決にもならないだろう。


でもこれだけは言える。どんなに比べられ、そこで順位がつけられても、それが全てではイ世の中になっているってことだ。すなわち、どんなに一流大学へ行って、一流企業に勤めても、安泰といえる世のかではなくなっているってことだよな。一流企業で日常茶飯事に行われているリストラ、パワハラ、セクハラ、残業の嵐。常に左遷、降格の危機に怯えながら送る日々。そして、今では驚かなくなった一流企業の倒産。
何年も勉強、勉強の日々を送り、休む間も惜しんで勉強し続け、やっと入れた会社が一瞬にして姿を消す。一瞬にして肩書がぶっ飛ぶ。
今はそんな世の中になっている。


だからこそ、大切な事は、「自分」なんだよ。卒業した大学名でもなければ、会社名でもない、まして、肩書でもない。「自分」なんだよ。
自分の中に常に、自分株式会社を構築しておく必要がある。
そうすれば、変に学校名、会社名にこだわることがなくなり、自分らしい生き方を選ぶことが出来る。


だってさ、一流会社に入っても、自分が本当は何をやりたいかって目標を持っている人ってどれだけいるんだろう。会社という狭い世界しか見えていない人の方が多いと思うよ。


台湾人が会社名にこだわらないのは、「自分のやりたい事」をしっかりと持っているから。そのため自分株式会社を早くから持っている。これからの日本もそう変わっていくべきではないだろうか。


学校も、もっと専門性を持たせる必要がある。高校から専門性をもった勉強をすれば、その道のプロを育てることも出来るのではないだろうか。自由な発想をもったプロを育てることが出来るのではないだろうか。


時代は流れている。ものすごい勢いで流れている。しかし、日本人の観念だけは取り残されている。未だに、名門大学、一流企業が最高という観念が根強い。
いい加減にその観念を変えるべきだ。まずは俺たちシニア世代から変えていく必要がある。
これからの時代、プロを育てていくことが必要だ。会社内でのプロではなく、世界に通用するプロを育てることが必要なんだよ。そのためにも、俺たちから古い観念を捨て、方向転換すべきだ。「比べる」ことなど必要ない。「比べる」のではなく、「引き出す」ことに専念すべきではないだろうか。


俺はそう思うけどなあ。

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