俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

指で探す楽しみもいいが、足で探す楽しみも味わってほしい

今の世の中情報化社会になり、ありとあらゆることが情報として流れている。
「美味しいお店」「おしゃれなお店」などのお店に関する情報や旅の情報、芸能界の情報、ファッションの情報、遂には、女性にモテるための情報なんてものもあるらしい。


そして、今の人間はこの情報によって振り回され、支配されている。


確かに情報は便利で、無駄な時間も労力も防げるし、意味のあるものだと俺も思う。
しかしだ、人間って生きていく中で、「無駄な時間」も必要じゃないだろうか。


まあ、シニアおじさんのタワゴトとして聞いてくれよな。


俺が若い頃はまだ、今の様にネットも発達していなかったし、パソコンなんて大企業か大学の研究室にしかなかった時代。携帯電話もなかった。


情報といえば雑誌ぐらいで、雑誌から情報を得るのだけど、雑誌って取材してから書店に並ぶまである一定の時間がかかる。だから、今の様に新鮮な情報とまではいかなかった。
だから、例えば彼女とデートする時などは、事前にお店の場所を見に行ったり、値段や味を調べたり、それなりの苦労はあったけど、それもまた、楽しみの一つだった。


また、穴場のお店を探すため、街をウロウロしたり、路地裏へ入って行ったり、時には迷子になったりしながら、でも、お目当ての穴場のお店を見つけた時はすっごく嬉しくて、でも、誰にも言いたくない、自分だけの穴場にしておきたいと思ったりしたもんだ。


今の様に、「今、このお店にいまーす!」と料理の写真をアップするなんてこともなく、そもそも、料理を写真に収めるなんてことすら思いもつかなかった。
しっかりと自分の舌で味わい、その味を記憶に留め、機会があれば、誰かをそのお店にお連れするという、そんな時代だった。


当たりハズレももちろんあった。無駄足になることもあった。でも、だからこそ、どれも今でも良い思い出になっている。


携帯でアッと言う間にお目当てのお店が見つかり、そこの料理の写真から値段まで、数秒ですべてがわかってしまう今の時代。
便利な反面、俺が味わった様な記憶、思い出は味わえないよな。


人生には無駄も必要。俺はいつもそう思っている。無駄という貴重な経験があるからこそ、無駄の意味も理解出来る。


決して、今の情報化社会が悪いと言っているのではないぜ。たださ、プライベートな時間の中で、少しだけすべての便利な情報から離れて、自分の足で実際に自分の五感を頼りに情報収集するってこともやってみたらどうかなあ。
無駄な時間を過ごすことになるかも、いや、なるだろうが、きっと、自分の記憶には永遠に残ると思うな。


指であっという間に探し出せるという楽しみもいいけど、’自分の足で探す楽しみも是非、味わってほしい。

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