俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

立ち向かう者は決して孤独ではない

「敗北に耐える姿は美しい」と俺は言った。
自分が勝負に負けたことを素直に認め、誰の責任にするでもなく、敗北の原因を分析し、自己反省をする。そして、周りからどんなに罵声を浴びても、誹謗中傷されても、逃げることなく、言い訳することもなく、耐え忍ぶ。


この姿を見て「あいつは負け犬。負け犬は孤独で惨めだ」という奴は、本当の勝負をしたことのない、肝っ玉の小さな奴だ。


俺に言わせれば、勝負に負けた人間に対して誹謗中傷する奴こそ、本当の負け犬。そう、正に、負け犬の遠吠えだ。


敗北から立ち直り、新たな勝負へむけて立ち向かう。それ相応の気力と勇気と忍耐が必要だろう。
そして、新たなる勝負に向けて立ち向かう時、人は思う。「孤独だ。孤独な戦いの始まりだ」とね。
しかし、それは大きな勘違いだ。


「立ち向かう者は決して孤独ではない」という事を忘れないで欲しい。


敗北を経験し、それに耐えた人間は強い。そして、人の痛みもわかる。這い上がって行く姿を見ている人が必ずいるのだ。
孤独だと思っていた再起をかけた戦いだろうが、気が付けば、自分の周りには大勢の支援者が集まってくれている。必死に、再起を祈ってくれる人、再起に向けての道へ導いてくれる人、声援を送ってくれる人等々、大勢の人達に見守られているのだ。


敗北に対し、臆病になってはいけない。人生、ほとんどが敗北の連続だと思えばいい。いや、実際にそうなのだ。
臆病者の顔ってどんな顔かわかるかい?それは、戦闘から逃げる男の後頭部だ。
臆病者=慎重派という人もいるが、違うね。単に、逃げているだけだ。敵に後頭部を見せて必死に、銃弾の飛び交う戦場をひたすら逃げているだけ。


臆病になる必要などない。もう一度言っておこう。「立ち向かう者は決して孤独ではない」この事だけは忘れないで欲しい。
経験者が語るのだから、本当だ。

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