意志を持って、精進道を歩む
「意思」と「意志」。どちらも読み方は同じだよな。「意思の疎通を図る」「意思を尊重する」と表現し、「意志を貫く」「意志が固い」と表現する。
厳密に言えば、意思も意志も意味は違う。しかし、俺は、「意思」よりも「意志」の方が好きだ。
ここからは俺なりの解釈だから、異論がある人もいるだろうが、まあ、独り言だと思って大目に見て欲しい。
まず、「意」だが、俺なりの解釈は、「独り立ち=何かを成し遂げると決めた日(時)の心」と解釈している。
だから、「意思」は「ある事柄をやり遂げたいなあと思っている」と解釈している。
一方、「意志」の「志」だが、「士=武士。武士の時代には、成し遂げると決めた事が成し遂げられない場合には、切腹=命を絶つ という覚悟までする」という様に解釈している。
だから、「意志」は、「命がけで成し遂げる。何が何でも成し遂げる」という覚悟を感じる。
こんな言葉がある。
「精進道(努力)
精進こそ不死の道 放逸(おこたり)こそ死の径(みち)なり
生命ありともすでに死せるにひとしいと云う
一丈の堀を越さんと思えば 一丈五尺を越えんと 努力する心構えが精進であり
結実の果報は自分の招く所であります 生駒山 寶山寺」
俺の好きな言葉の一つだ。
「命がけで頑張る」と言うのは簡単だ。成す遂げられなくても、本当に命を捨てる人などまずいない。逆にそのような事は愚かな事だ。
しかし、「成し遂げる」という事は、決して平坦な道ではなく、苦労、困難の方が多い道、いばらの道でもある。思いだけでは成し遂げることなど出来ない。
志が必要だ。「成し遂げる」と決めたのは自分自身だ。誰からの命令でもない。
自らが取って得た願望だ。故に、諦めてはいけない。
以前に、「諦めることも力」という事を書いた。矛盾しているように想うかも知れない。
そう、矛盾しているだろう。しかし、「なんだ、やっぱり矛盾してるじゃないか」と思う人は、本当の精進をまだしていないと俺は思う。
精進すれば必ず成功するとは決まっていない。前述の言葉にもそのような事は一切書かれていない。
肝心なのは、「成し遂げるための努力、精進」なんだ。
とことん、自分が納得いくまで努力して、その結果、「これは諦めるしかない」と判断した時は、潔く、諦めればいい。しかし、その諦めは、怠りからの諦めではない。
とことん努力、精進した上での結果だ。だから、その経験は必ず、力となって、将来につながるのだ。