俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

未知なる道を歩むのが人生じゃないか

いつも好き勝手なことを書いているこのブログ。でも、大勢の方が読んでくださっていることに心から感謝しています。


俺は昨年12月に56歳になった。この56年間の人生、本当に色々なことがあった。普通の人では経験の出来ない様な事も経験した。俗にいう、地獄とやらも見た。まあ、その時はそこが地獄だなんて感がえる余裕もなかったけどね。
でも、すべてが俺の人生の肥やしになっている。


人間というのは、楽しかったことよりも辛かったこと、苦しかったことの方が鮮明に覚えているよな。俺は脳科学者じゃないから専門的な事はわからないけど、辛かったこと、苦しかったことを覚えているからこそ、前に進めるのではないかと思うな。


そういえば、人から「好きな食べ物、嫌いな食べ物」「好きな動物、嫌いな動物」って聞かれると、すぐに答えられるのが「嫌い」な方だよな。きっと人間の脳って、自分にとってマイナスに作用する方を強烈に記憶しているのかもしれないな。
だからこそ、警戒をするようになる。


俺よりも若い人に伝えたい。
その時は本当にこの世の終わりと思うほどの不幸な出来事が起こっても、決して、世の中は終わらない。平等に明日が来る。
今の自分の境遇を誰も判ってくれないと思う人もいるだろう。でもさ、判ってもらって何になる。判ってもらったからって、その人が助けてくれるかい?まず返ってくる返事は「元気出して」「きっと上手くいくよ」「今だけの辛抱だから」。
そんな返事を聞いてどうなる。


はっきり言おう。今のあなたの悩みを本当に理解してくれる人は誰もいないと思った方がいい。だったらどうすればいいのか。
一番いいことは悩むのを止めること。でも、そう簡単にはいかないよな。一度心の中で芽生えた悩みは、そう簡単には忘れることも消え去ることも出来ないからな。


俺は悩みにぶつかった時、その悩みから逃げることにしている。一人で部屋の中でウジウジ悩んでいるならば、その環境から逃げ出す。思い切って外に出て、思い切り遊ぶ。
ネットなどで誹謗中傷されている時は、パソコンの前から逃げる。そして、本当に親しい人と会話を楽しむ。親でもいい。兄弟でもいい。親友でもいい。誰でもいいんだ。
もしも誰もいないのなら、楽しい、心が穏やかになれるテレビや映画やビデオを観る。
ともかく、その現状から逃げることだ。


「逃げても何の解決にもならない」という人もいるだろうが、俺の経験上、逃げることで自分を見つめ直すことが出来る。心に余裕が出来るって訳だ。すると、自分が悩んでいたことが、本当にそこまで悩む必要があるのかと思えるようになる。


俺なんか今でもネットで誹謗中傷を受けているし、「俺たち家族が行方不明。多額の借金を踏み倒して逃げている」とまで書かれている。
でもさ、それでも俺を信用してくれる人はいる。友達もいる。もちろん、そんなことを書かれているってことを知ってだよ。
要は、自分の事を悪く言う人が50人いれば、自分の事を褒めたたえてくれる人も50人いるってこと。「毀誉褒貶(きようほうへん)相半ばす」だよ。


俺もその時は本当にすっごく悩んでいたことも、逃げて、時間をおいて考えた時、「何でこんなことでここまで真剣に悩んでいたのかなあ」って思う事がよくあるよ。


自分で自分を追い込むなよ。イジメ、誹謗中傷、人間関係、過労等々で自殺する人もいるけど、結局、自分で自分を追い込み過ぎているんだよ。
今いる場所だけが人生の終点ではないよ。人生なんていくらでも自分で変えることが出来る。
勝手に、自分の人生の終点を決めてはダメだ。


明日がどんな人生かなんて誰にもわからない。今いる会社、学校で定年、卒業までいなければならないなんて誰が決めた。自分で自分を追い込むな。自分で自分の道を決めつけるな。
人生は常に可能性の連続。未知の連続。その未知なる道を歩むのが人生。


俺はそう思うけどなあ。

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