俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

花蓮を知って欲しいの思いだけで今はひたすらに歩んでいる俺

俺は今、「花蓮歴史の生き証人」と題した本を執筆するために取材を続けている。
これは、日本統治時代、花蓮の地で生きた人々に直接お会いして、インタビューをさせてもらい、それを取りまとめたものだ。
完成予定は何時になるかは判らない。しかし、今のうちにインタビューを続けなければ、後数年もすれば、貴重なお話しを聞けなくなる可能性が大きい。


自分たちを日本人だと信じて生きた台湾人の方々、台湾・花蓮を日本国だと信じて生きた日本人の方々。両方のお話を取りまとめていく。


以前に「花蓮歴史街道ぶらり旅1」を出版した際も、同書に「歴史の生き証人」という事で、インタビューの内容を掲載はしているが、これから執筆する本では、さらに詳しく、その時の時代背景やその方の人物像にも迫りたいと思っている。


まあ、俺の様に無名の作家が書く本は、全国の書店に並ぶことはない。インターネットAmazonでの販売となる。
よって宣伝広告も自分もしなければならない。
当然、ベストセラーなどとは縁のない本だ。


俺は日々、花蓮というところを日本人に知って欲しいと思い、地道な活動を続けている。
日本のローカルの町や村と花蓮の町や村の交流の橋渡しをしたり、花蓮で生まれ育った、湾生と呼ばれる方々の花蓮へのお里帰りのお手伝いをしたり、花蓮へ観光に来る日本人の案内をしたりと、その活動はまさに牛歩の様にゆっくりと、一歩一歩の活動だ。
本を出版したのも、「花蓮を知って欲しい」という気持ちで出版をした。


台湾関係の本を出版している有名人とは違い、俺は無名。だから、普通の出版社は相手にもしてくれない。まして、台湾という大きな括りではなく、花蓮に限定した本なので、余計に、誰も相手にしてくれない。


「何故、台湾全体について書かないのか」「花蓮専門家よりも台湾専門家の方が受けがいい」とも言われたことがあるが、花蓮こそが、日本統治時代のもう一つの日本の歴史の始まりの地であり、花蓮こそが、今でも日本統治時代の空気を数多く残している地。
台湾と一言でいっても、様々な文化、民族が住んでおり、ひとくくりで説明など絶対に出来ない。だから、俺は、花蓮にこだわる。


花蓮を訪れる日本人観光客はまだまだ少なく、今は、台湾南部がブームだ。
俺は、花蓮にもっと日本人観光客が来て欲しい。そして、何故、日台関係がこれほどまでに友好的なのか、その答えを花蓮で見つけて欲しい。花蓮に来れば、その答えを肌で感じられる。


俺一人の力では限界がある。いや、俺の力など、微々たるものだ。時には心が折れそうになる時もある。日本のガイドブックには、花蓮=タロコ渓谷しか載っていない。
だから、花蓮に来る観光客のほとんどが、今のタロコ渓谷の危険性も知らず、台北から日帰りでタロコ渓谷観光だけをして帰ってしまう。
悲しいよ。花蓮の本当の姿を知らずに帰ってしまわれるのは。


でも、俺は花蓮が好きだ。だから、どんなに心が折れそうになっても、どんなに微々たる力であったとしても、俺は諦めずに花蓮を日本へ紹介し続ける。
いつの日か、その事が花咲き、実をつけてくれることを信じて頑張る。


諦めたらそこですべてが終わるからね。諦めさえしなければ、小さな小さな一歩であったとしても、前には進めるから。


最後に少し宣伝をさせて欲しい。
俺が書いた「花蓮歴史街道ぶらり旅1」。他では絶対に読めない内容が書かれている。日本で初めての花蓮専門書だ。中身には自信を持っている。
是非、時間があればご一読ください。


今、何かに打ち込んでいるあたな。すぐに結果が出なくても諦めるなよ。そう簡単に結果など出ないものだ。続けることが大切。そして、自分を信じることが大切。
真面目に、欲を捨て、物事の真偽をしっかりと見極め、自分の信じた道をただひたすらに歩んでいこう。必ず、何時の日か、結果は出る。


俺はそう思うけどなあ。

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