俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

生きているという事だけで幸せだよ

右耳の聴力が著しく低下して1年が過ぎた。
それは本当に突然だった。仕事が終わって、家に帰り、エアコンをつけると、普段よりもエアコンの音が大きいと感じた。家族に「今日はエアコンの音がうるさいなあ」というと、妻も娘もキョトンとした顔をしていた。
その時点で初めて耳鳴りがしている事に気付いた。「まあ、今日は疲れているからだろう。一晩寝れば治るさ」と輕い気持ちだった。
食事が終わり、風呂にも入り、さあ、そろそろ寝ようかとベットに入った時だった。ベットに身体を倒した瞬間、恐ろしい勢いで目が回りだした。目を閉じてもその回転は収まらない。それどころか、ますますひどくなる。気分が悪くなり、嘔吐した。
その日から三日間、耳鳴り、目まいは止まらず、何も食べる事も出来なかった。
すぐに病院へ行けばよかったが、車に乗る事すら出来ないほど目まいがひどかった。
三日目にやっと知人の運転で病院へ。メニエール病と診断された。医者は「薬を飲んで安静にしていれば治る」と言ったが、一週間を過ぎても目まいは収まらず、耳鳴りも収まらなかった。病院を変えたが診断は同じくメニエール病。
発病から二か月が経過し、その間、数件の病院を渡り歩いたが、最終的に出された診断が、突発性難聴だった。しかしこの病気、発病から一週間以内に治療すれば完治するが、それを過ぎると完治不可能という厄介な病気。結局、発病後2か月も経過していた俺は、もう、完治の見込みはないと診断された。


念のため、脳のMRIも撮影した方が良いといわれ、検査するが、こちらは、異常なしだった。


あれから1年。今の俺の右耳は、休むことなく耳鳴りが続いている。1年も耳鳴りと一緒に過ごしていると慣れるものだ。右耳の聴力はほぼ失ったと思われる。かすかに音が聞こえる程度。
外観からはまったくわからない病気だけに、右側に人が立たれると困る。特に、人が沢山いる場所では、周りの騒音ばかりが耳に入り、肝心の人の声が聞き取れない。必死に、左耳で聞く。結構、疲れるものだ。


気圧が低くなると、耳鳴りが激しくなる。だから、天気予報よりも高い確率で雨を予報出来る。
頭を大きく振ると目まいもする。だから激しい運動は出来ない。


発病した時は「何故、俺だけがこんな病気をしなければいけないんだ」と暗くなった。しかし、今は開き直っている。「まあ、これにもきっと何か意味があるんだろう。丁度、父が亡くなった同じ歳に、俺は右耳の聴力を失った。命は助かったのだから感謝しなければ」と思っている。


右耳の聴力が低下しても、本は書ける。歴史の生き証人へのインタビューは出来る。車もバイクも運転できる。普通の人よりちょっと音が聞きずらいだけ。
俺は生きている。生かされている。その事に心から感謝し、明るく明日を迎える。


今迄のように無理は出来ないけど、でも、常に前向きで、笑顔を忘れず、悲観せず、俺は今日を生き、明日を生きる。


生きているという事だけで幸せだよ。


俺はそう思うけどなあ。

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