俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

会話をしよう。話をするのじゃなくて。

昨日は、台湾に住む日本人には気を付けろという内容を書いたが、「お前も日本人だろう!お前が一番要注意人物じゃなのか!!」と思っている人もいるだろうなあ。もしかしたらそうかもよ(笑)


でも誤解しないでくれよな。全員がそうだとは言っていない。俺は、腐った一つのミカンのために、「箱の中のミカン全部がダメ」という考え方は大嫌いだ。


日本では在日の人達の事がよく話題になる。確かに、裏の世界で生きる人の中には在日の人が多いのは事実だ。でも、日本人もいる。慰安婦問題で様々な意見や過激な行動に出ている在日韓国人の人もいるが、台湾人にも同じように慰安婦問題で日本人を目の敵に思っている人もいる。

マナーが悪いことでは全世界よりお墨付きをもらっている中国人。でも、日本人にもマナーの悪い奴はいる。

大切な事は、個人だよな。その人をしっかりと、先入観なしに観察し、判断する能力が必要だ。しかし、これが一番難しい。

人間はどうしても先入観を持ってしまう。だから、「先入観なしに澄んだ目で人をみましょう」なんて標語の様な綺麗ごとは俺は言えない。俺だって先入観で人を見てしまうから。


ただ、何もかもをひとまとめにして「○○人は悪い」「○○人は出ていけ」と叫ぶのは俺は嫌い。


これは人種の問題だけではない。子供の社会でも同じ。でも、子供の社会と大人の社会との大きな違いは、子供は大人によって洗脳されてしまうということ。

学校教育の現場でも、「日の丸・君が代は軍国主義の証」と信じて疑わない教師がいれば、その教師は、自分の考えを子供達に洗脳する。

子供は意味がわからないまま、「そうなんだ」と信じてしまう。


子供にものの善悪を教えるのは大人だ。簡単な例を出せば、親が犬が嫌いだったとしよう。すると親は子供に対し「犬は人を噛む。悪い動物」と教えていたら、子供は間違いなく犬が嫌いになり、犬をイジメる。

これと同じように、「○○君は悪い子」「○○さんの家は複雑で家庭環境が良くない」と子供に教えれば、子供はそれを信じ込む。


大人ってこの世で一番恐ろしい生き物なのかもしれない。どんな武器よりも、大人の子供への教育が一番の武器になるのだろうな。


物事の善悪に関しては、各人が各人の考えがあり、その各人のものさしで善悪を判断する。それだけに厄介だよな。


よく「差別のない平和で平等な世界を」というスローガンを聞く。確かに理想だよな。でも、実現不可能だからスローガンとなり、活動家も生まれる。


共産主義、社会主義社会でない、資本主義社会では、「自由」を手に入れる代わりに、「平等」は失う。それが資本主義。故に、金持ち、貧乏が発生する。

俺は思想家でもなければ、哲学者でも、政治・経済学者でもない。単なる、花蓮と言うど田舎に住む、シニアオヤジ。だから、難しい事は判らないが、「差別」はこの世からなくなることはないと俺は思う。


台湾でも差別はある。ご承知の方もおられるだろうが、台湾には原住民族がいる。現在、16部族が公認されている。その内の、6部族が花蓮に住んでいる。一番多いのが阿美族と呼ばれる人達。俺の今、住んでいる場所は、阿美族発祥の地であり、台湾の中でも最大の阿美族の部落がある場所だ。

俺も、阿美族や太魯閣族の友人が何人もいるが、普段は感じないが、ちょっとした事で、やはり、違いを感じる。この違いを「文化、歴史、習慣が違うから当然」と受け入れられれば、違和感なく付き合える。しかし、少しでも「えっ?」と感じた時点で、その距離は二度と埋まらない。

原住民は台湾国内ではやはり差別されている。クラスが低いとみなされている。一方、原住民以外に客家人と呼ばれる人も多いのが花蓮。日本人移民村跡はほとんどが客家人だ。

彼らも独自の文化、歴史、習慣を持っており、一般に言われる台湾人(漢人)とは違う。


その国々によって差別の対象は変わるが、差別は人間と言う生き物が存在する限り、無くなることはないだろうな。ただ、減らすことは出来る。そのキーマンが俺達大人。

シニア世代の俺達じゃないかな。


これは漠然としているのだけど、今、世界は大きく変わろうとしているように思う。

世界大戦を経験した人達が今までは世界を動かしていた。しかし、今は、戦後派が主流。

戦争を知らない人口が増えている。故に、平和ボケしている部分もあるが、世界情勢なんて難しい事は政治家の皆さんに任せて、俺達一般のシニア世代としては、まずは、子供達に世界を見る目を養ってやれる環境を作ることだと思うんだよな。

くだらないご近所の悪口なんかを子供に聞かせるのではなく、子供が失敗した時に、一方的に怒るのではなく、子供と会話する、ディスカッションするという事をして欲しい。


日本人は会話力に乏しい。話題に乏しい。まずはここからだ。


「差別」という事について今日は好き勝手を述べているが、では、「差別」ってなんだろう。どうして存在するのか。無くす方法はあるのか等々、子供と真剣に会話・議論してみたらどうだろうか。


週に一回でもいいじゃないか。親子、家族で、一つの話題について会話しようぜ。

「会話したくても子供が嫌がる」と言っているオヤジ。それはあんたに責任があるんだぜ。

「会話したくても子供が真剣に話を聞いてくれない」というオバサン。それはあんたに責任があるんだぜ。

今まで、子供と会話していないからだよ。話はしても会話はしていないって事。

会話は、答えなんてない。正解なんてない。それを求めるんじゃない。聞く耳、話す口、そして、受け止め、考える心を養うためにするんだ。

会話に答えなんてない。正解もない。あると思い込んでいるのは、大人のエゴだ。大人の考えを押し付ける事はしないで欲しいなあ。

それでは会話にはならないから。


俺達シニア世代は、後精々頑張っても20年か30年ほどで人生に幕を引く。

俺達が若い頃、その当時のシニア世代の人達が、俺達の未来のために道を引いてくれた。

戦後焼け野原になった日本を、わずか数十年で経済大国へと伸し上げてくれた。

俺達はそれを引き継ぎ、更なる発展、進歩をさせるために努力してきた。

そして、シニア世代に入り、今度は俺達が今の若者のために、何かを残し、何かを告げていかなければならない順番となった。


自分の価値観を押し付けず、会話をする。話をするんじゃなくて、会話をする。

これは仕事に関してだけではない。家庭でも同じ。妻と、夫と、子供と、会話をしよう。


時には激論してもいい。いや、それも必要だ。だから本音でぶつかり合えるし、その結果、得るものが大きい。もちろん、得るものばかりではないだろう。失う事もある。

でも、それで失うモノって、結局はそれだけのものだったって事だ。

お互いが本気になって会話すれば、傷ついても失う事はない。


会話しようぜ。会話を楽しもう。

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