俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

責任持てない言動なら、黙ってろ!

台湾に住んでいる人や、台湾に何度も来たことのある人なら知っているだろうが、台湾人は謝る事をししない。自分の非を認めることをしない。

誰が見ても100%悪いと判っていても、絶対に謝らない。謝ってしまうと負けだ。


その逆に、相手の理不尽に対しては、そこまで怒るかというほどに怒る。


謝らず、許さずとなると、結果は喧嘩しかない。喧嘩は本当に多いのが台湾人だ。

瞬間湯沸かし器の様に、いきなり怒り出し、口のみならず、手も足も出る。もっとエスカレートすると、スイカ刀、牛肉刀といった刃渡りの長い包丁やら、拳銃も出てくる。


よく日本人が「台湾の人は優しく、温厚で、親切」という。確かにそういった一面も持っているが、その裏には、日本人では想像もつかない様な恐ろしい面も持っている事を知らない人が多い。


今、台湾では薬物犯罪も急増している。小学生が薬物使用で逮捕されたこともある。

特に、田舎へ行けば行くほど、薬物依存症が多い。そして、アルコール依存症も田舎ほど多い。


原住民はとにかく酒が好きだ。その量も半端な量ではない。台湾では、朝食屋がある。台湾式の朝食や、サンドウィッチ等々、種類も豊富だが、原住民の住む部落の朝食屋には、アルコールも売っている。朝、仕事へ行く前に朝食屋で朝食を取る。その際、アルコールを買って、仕事しながら水替わりに飲む。高所の仕事をする人も、アルコールがなければ仕事が捗らないという人が多い。

昼食時にもアルコール。仕事が終わってアルコール。夕食時にアルコール。食後にアルコール。これが普通。


原住民には、平地の原住民と山の原住民がいるが、特に、山の原住民はアルコールがないと生きていけない人が多い。彼らの多くは、日雇い労働。日当もらったら、アルコールに消える。日当もらった翌日は、朝からカラオケにアルコール。


俺は今、花蓮における日本統治時代の歴史について研究しているが、その研究を行う上で、原住民は必ず登場する。日本人と原住民との因縁、共助は欠かせない研究課題となる。それゆえに、花蓮に移住した際、最初は、山の原住民が住む部落で生活をした。

戦後、その部落に日本人だけの家族が住んだのは俺達が初めてだった。

最初は彼らの目が怖かった。鋭い視線、獲物を狙うときの様な鋭い視線。

これは、後に、平地の原住民の友人が出来て、山と平地の原住民の大きな違いが「視線=目」であることを実感した。


今は山であろうと平地であろうと、原住民の友も多いが、彼らに受け入れてもらえるまでに5年はかかった。

表向きの付き合いだけではなく、心からの友になるまでに、それなりの時間が必要だった。今回、俺が病気療養中の間、俺の仕事を助けてくれているのは全員が原住民の友だ。


俺は「原住民の友達がいます。一緒にお酒も飲みました」「原住民のことはよく知っている。」などと、自慢げに話をする台湾オタクの日本人を今までに何人も見てきたが、そういった奴は俺は大嫌いだ。酒を一緒に飲んだからなんなんだ。それで一体、彼らの何を知ったんだ。彼らの歴史、彼らの日本人との間の争い、恨み、他の部族や台湾人との間の差別等々、書物や文献だけではわからない、根深い部分まで知り、理解し、そして、その場に身を置いてこそ、初めて、わかる部分の方が多い。


俺は、台湾オタクという連中が大嫌いだ。

年に何回も台湾へ来ていたとしても、あくまでも彼らの拠点は日本であり、台湾で生きた事はない。生活するというのと、生きるというのは違う。

まして、観光できた人間に、台湾の何がわかる。何もわかってはいない。

にも拘らず、知識だけでものを言い、おまけに「こうだ」と決めつけて話をする。その事に反論しようものなら、群れを作って反論する相手を攻撃したりする。

どうしても自分の考え、自分の認識は正しいと認めさせるために、顔を赤らめて自論を押し付けてくる。

でも、こういった台湾オタクほど、毎回、使用するホテルは同じ、食事の場所の同じという連中が多い。「定宿」なんてカッコいい事言ってるが、早い話が、冒険は出来ないって事。だから俺は、台湾オタク連中とは一切、付き合いはしない。

観光客は何度台湾に来ても、観光客でしかないって事を忘れないで欲しいよ。


俺は歴史学者ではない。だから、論文作成のために今の研究をしている訳ではないし、今後も、その気はない。まして、地位や名誉のために研究をやっている訳ではない。

最初は好奇心からだった。台湾で初めての日本人移民村(賀田村)が出来たのが花蓮。その花蓮に住み、日本統治時代の史蹟を目の当たりにしたときに、「ここでの50年間ってどんな暮らしをしていたのか、何を思って生きていたのか」を知りたいと思って始めた。

そして、研究をしていくうちに、如何に今の日本人が台湾での50年間の歴史を知らないかを実感し、「この50年間の歴史を伝承しなければ」と勝手にそう思い込んだだけ。

まあ、ちょっとカッコよく言わせてもらうなら、花蓮に住まわせてもらっている日本人として、その礎を築かれた先人達へのお礼、恩返しを俺がやらねばならない。」なーんて、思った訳だよ。「これが俺が花蓮に来た使命」なんてね。


だから俺の研究は常に現場。お偉い先生方の本は俺は読まない。先入観を持ちたくない。

まずは、現地に赴き、自分の足で情報を収集する。日本統治時代、日本人として生きてこられた台湾の人達(皆さん高齢だ)を現地で探し、お会いし、インタビューし、その内容に応じて、実際に、その場所まで行き、そこでまた、調査。

終わりのない研究だ。でも、今まで、誰も書いていない歴史的事実がそこには埋まっている。学者さんたちは、常に「その事実を裏付ける事の出来る証拠」がないと、歴史的事実として認めない。しかし、俺は違うと思う。一人のおじいさんが子供時代に経験した事。記憶に残っている日本時代の事。無名の一人の老人の証言だ。誰もそれを証明してくれる人などいない。でも、おじいさんの記憶には鮮明に残っている。その記憶を残すことが大切だと俺は思っている。


物事すべてにおいて、自分の言動には責任を持たねばならない。思い込みだけで言ったり、行動してはいけない。責任の果たせない言動ならば、何も言うな、動くな。

俺達はもう、ガキじゃない。ガキの頃は責任など関係なかった。それで許された。

しかし、大人になった段階では、責任を伴わない言動は許されない。


シニア世代の俺達が、良き手本になるように、自分の言動には120%の責任を持って生きていこうぜ!!




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