俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

正しい日本語を使って、きちんと文章を書こうぜ!家族間では文章ではなく会話をしようぜ!

世の中、本当に便利になったものだ。
世界中、どこにいても、ネット環境さえ整っていれば、どんな情報でも入手できるようになった。また、今、自分がどこで何をしているのかも、リアルタイムで拡散する事が出来る。ほんの数十年前までは考えられない事だった。
こうやって、ブログを書いて、それを、一面識もない不特定多数の人に読んで頂けるなんて、正に、夢のような話だ。


しかし、その一方で、その便利なツールに人の生活が支配されてしまっている様にも思える。


例えば、外食に行った際、以前は、美味そうな料理が運ばれてくると、まずは、目で料理を楽しみ、そして、「いただきます」と言って、すぐに食することが出来た。
しかし今は、まずは、写メ。誰も料理に手を付けていない状態で、写メが最優先。
それから、SNSへのアップ。それが終わって、やっと「いただきます」となる。
これが、料理が出てくる度、毎回行われる。正直、うんざりする事がある。


台湾には、カメラ撮影禁止というお店がある。料理を写メするのも禁止。
そこのオーナーの考え方は「料理は目で楽しみ、舌で楽しむもの。そして、それを記憶するもの」であって、記録するものではないという考えなんだろう。


メールやLINEというのも厄介だよな。メールも携帯電話に転送できるようになってからは、ほぼ、リアルタイムに返信をしなければならない様になった。LINEなどは、まさに、リアルタイム返信が強制されているようなものだ。
少し返事が遅れると「何をしていた」と言われる。故に、折角の休みの日まで、携帯電話によって、様々な情報が入って来て、それに対応しなければならない様になってしまった。
折角の家族での海外旅行。台湾へ来て、家族でのんびりと楽しもうと思っていても、顧客からの電話、メール、LINEが追いかけてくる。場合によっては、会社からも追いかけてくる。
同行している家族に気を使いながら、隅っこで、対応されている後姿。何だか可哀想に思える。


お客様は100歩譲って仕方ないとしても、何故、会社から連絡が入るのか、俺は不思議で仕方ない。会社には休暇届を出し、正式に、休暇として認められて来ている。だったら、人の生死、会社の生死以外で、休暇中の社員を追いかけるなよって言いたいね。


俺が日本に居る事経営していた会社では、人の生死以外で、休暇中の社員へ連絡することは厳禁だった。故に、休暇前には、きちんと引き継ぎを行う事が自然と定着していた。


観光地へ行っても、折角ガイドが色々と説明をしているのに、我先にと写メを撮り、自分のSNSへアップ。コメントなんかも書き込んでいるのか、景色もほとんど見ず、携帯電話と睨めっこ。必死に、何かを打ち込んでいる。何しに観光に来たんだろうと思うよな。


こうやって冷静になって考えてみると、便利になったが故に、それに振り回されている様に俺には思えて仕方ない。


最近では家族の会話もSNSでって以前、何かの番組で見たことがある。もうこうなったら最悪だよな。
それって会話じゃないよな。会話って、ちゃんと相手の目を見て、反応を見てやるもんじゃないのかなあ。
こんな事を書いていると、「そういった考えがオヤジなんだよ。時代は変わったんだぜ」って言われるかもしれないが、どんなに時代が変わろうと、どんなに便利なツールが出来ても、人間である以上、「しゃべる」という特別なツールを持っているのだから、きちんと自分の言葉でしゃべってこそ、意思の疎通が出来ると俺は思う。
文字だけですべてが可能だというのは有り得ない。
文字は所詮、文字でしかない。文字に感情は込められない。いや、万が一、感情を込めれたとしても、それが相手に伝わらなければ、何の意味もない。


しゃべることにより、その言葉には強弱がつけられ、感情も込められる。


大切な約束事は最終的に文字にする必要はあるが、やはり、それは最終的な段階であり、まずは、面対面で話すことが重要だ。
打ち合わせのプロセスを文字として残す事はもちろん重要だ。しかし、これは仕事の面での話であって、家族間で文字だけですべてを済ますというのとは違う。


そうそう、文字で思い出したが、人様にメールを送る際、やはり、正しい日本語で送って欲しいよな。最近、問い合わせがメールで入ると、その文章を読解するまでに、少し時間を要するような内容の文章が多い。
何が聞きたいのか。何をして欲しいのか。何度読んでも、まったく意味が判らない文章もあるし、「俺、この人の部下か?」と思うような、命令口調のメールやら、「俺、この人の友達?」と思うようなため口口調のメールもある。
若い人なのかなあって思うでしょうが、そうでもないんだよな。
結構なお歳の人でも、信じがたい文章でメールを送ってくる人がいる。
言い換えれば、日本人自身、文章作成能力が劣ってきたのかも知れない。
SNSの発展で、短い文章で要件を済ませるため、文章作成という能力が衰退しているのかもしれない。


日本語が忘れされられていく今の日本に、危機感を覚える俺は、やっぱり、時代遅れのオジサンなんだろうか・・・・・。

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