俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

感謝するにも、目の前のことに感謝しているだけではダメだよな

台湾と日本の友好関係は今や誰もが認めるものだ。
双方からお互いの国に観光に出かける人の数も、年々、右肩上がりとの事。嬉しい話だ。


しかし、よくよく考えてみると、俺が初めて台湾の地を踏んだ、31年前、日本は台湾を日本のもう一つの工場として考え、ありとあらゆる会社が台湾に進出、もしくは、提携工場を設け、日本国内には Made in TAIWAN の製品があふれていた。
それまでは、技術力の無かった台湾が、日本企業の進出によりあらゆる技術を身につけた。特に、精密機械、金型の技術力のの向上は、日本のおかげといっても過言ではないだろう。
その頃の台湾に対する日本の評価は、正に、今の中国と同じような評価だった。
「信用できない」「すぐに真似をされる」「平気で人を騙す」「礼儀がない」等々、今の台湾人に対する評価からは想像も出来ないほど、日本人は台湾人に対し、悪評のオンパレードの状態だった。


時間は流れ、311の震災で、台湾が世界で一番多くの義援金を送った事がきっかけで、日本人の台湾人に対する評価は一気に変わった。
それまで、ほとんど聞いたことの無かった「台湾人は優しい」「台湾に感謝」という言葉。


俺も仕事で花蓮に眠るもう一つの日本の歴史を巡る旅の案内をしていると、あちらこちらに残る日本統治時代の建造物に対し、ほとんどの日本人が驚き、そして、「こうやって、日本時代のものを大切に残し、守ってくださっている台湾の人達に心から感謝しますねえ」と言う。
確かに、日本時代の貴重な建造物を残し、守ってくださっている台湾の人達には、俺も感謝している。


しかし、ここで考えて欲しいことがある。
何故、台湾人が、日本時代のものを大切にしてくれるのかってことを。


台湾の人達の心に大きな影響を与え、その結果、今の友好的な日台関係の礎を築いてくださった、我々の先人、偉大なる、しかし、無名の大勢の日本人移民の方々への感謝の声をあまり聞かない。いや、今までに聞いたことはない。


「台湾大好き」「台湾感謝」「台湾にはもう何十回も来てます」「台湾のことならほとんど何でも知ってる」「台湾一周した」というのなら、何故、花蓮に日本人移民村があったことを知らないんだ。台湾で日本人移民村発祥の地が花蓮だって何で知らないんだ。


ある一面だけを見て、それに感動し、それが全てだと思い込むのはやめて欲しい。
日本と台湾の関係、歴史はとても奥が深い。良い事ばかりではない。台湾人によって、原住民によって、命を落とした日本人も数多くいる。その逆もだ。


台湾の人里離れた山奥で、地域の安全と未来、台湾の安全と未来、日本の安全と未来のために、数多くの日本人警察官が勤務され、そして、原住民等の襲撃によって、数多くの警察官が殉職されている。特に、東側では、数多くの悲惨な事件により殉職された警察官が多い。しかし、その事を知る日本人は少ない。


目の前の事だけに感謝するのではなく、その本質がどこにあるのかもよく考えて欲しい。



最後に、大和魂で困難な開拓を成し、台湾の近代化に向けて、地元の人達と一体となって生き続け、第二の祖国として台湾を愛し続けた先人達。その息遣いが感じられるのは、台湾の中でも、やはり花蓮しかないと俺は信じている。


だから、「自分は台湾通」と豪語する人は、まずは、花蓮の歴史に触れ、肌で感じ、何かを掴んでから、台湾について語って欲しいというのが、俺の正直な気持ちだ。

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