俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

年齢なんか関係ない。どんなに年下でも、尊敬に値する人物もいる

今日、以前に勤めていた会社の同僚から連絡があり、久しぶりに一緒に食事をした。
俺が花蓮で初めてガイドとしての勉強をさせてもらった会社の同僚。
右も左もわからない俺に、色々と親切に教えてくれた。
同僚と言っても、年齢は俺の息子と一歳しか違わない26歳。
俺にしてみれば息子と同じ存在であり、彼からすれば、自分の父親と同じぐらいの年齢だ。
しかし俺も彼の、年齢差など一切考えた事も意識したこともなかった。ガイドとしては彼の方が先輩。毎日が勉強だった。彼が俺の師匠でもある。


俺は年功序列という考えが大嫌いだ。毎回、この話題が出る度に俺は書いているが、仕事をする上で年齢など関係ない。大切なことは能力だ。彼は、同僚の中でも本当によく勉強していた。常に最新の情報を入手し、それに対応できるように準備もしていた。


その会社の社長も、彼を信頼していた。社長が不在の時は、彼が会社を仕切っていた。
ガイドの振り分けやレンタカー(その会社ではレンタカーもやっていた)の手配等々、彼は見事にこなしていた。


これが日本だったらどうだろうか。21歳、22歳の若者に対し、まず、会社はどこまで信頼をするのだろうか。さらに、年上の人はどこまでその若者の言う事を素直な気持ちで聞けるだろうか。


俺は50歳目前の新入社員だった。日本人に花蓮の魅力を伝えるには、ガイドの道が最も近道と思い、その世界に飛び込んだ。
一度、彼と一緒に仕事に出た時、俺がこの仕事を始めた理由を説明したことがあった。
すると彼は、「今度の休みはいつ?」と俺に尋ねた。俺が答えると「だったらその日、自分も休みを取るので、時間を空けておいて」と言われた。


当日、彼は自分の車で俺をある場所に案内してくれた。それが、日本人移民村・林田村だった。彼はそこで、自分の知り合いを回りながら、全員に、俺のことを紹介してくれた。
そして、「この人は今、必死に、日本統治時代歴史を研究しながら、日本人に、その歴史を知ってもらうために、ガイドの勉強をしている。どうか、これからも彼をよろしくお願いします」と言ってくれた。


貴重な休みを、わざわざ俺のために一日中、付き合ってくれたのだ。
わずか21,2歳の若者がだ。
俺も妻も、涙が出るほど嬉しく、感謝した。


だから俺は今、どんなに困難であっても、花蓮の日本統治時代の歴史についての研究を止めない。どんなに嫌な事があっても、この花蓮を離れない。


彼が俺のために作ってくれた「あの一日」に対しての恩があるから。


俺は今、今まで収集した様々な日本統治時代の花蓮の話をまとめるために、一冊の本を執筆している。まずは、これが彼への報恩でもあると思っている。


日本語が出来ない彼だが、本が出来た時には、彼に真っ先に進呈するつもりだ。


俺が尊敬できる台湾人の一人でもある彼に、今日、再会出来、最高の一日だった。

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