俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

「お役に立てれば」そこには何の駆け引きもない、純粋な心があるのみ。

世の中には尊敬に値する人が沢山いる。


例えば、台湾では、猫村で有名な場所があるのだが、毎日、その猫村に住む猫達に、朝5時に起き、5時半に家を出て、50kmも離れた猫村まで車で行き、猫達に餌を与えている人がいる。もちろん餌代は自腹。そのために、自分は昼食代を節約するために、インスタントラーメンで済ましている。
台湾好きの人ならこの猫村がどこにあるかはご存じだろう。週末になれば、台湾国内のみならず、台湾好きの外国人も沢山、この村を訪れる。その結果、小さな村も、観光客による収入で潤っている。
その陰で、この村の猫達の健康と安全だけを願って、何の見返りも求めずに頑張る人がいる。


また、花蓮のある教会のフランス人の神父さん。50年前に花蓮の教会に着任され、地元の原住民の人達の貧しい生活を目の当たりにし、この人達のお役に立てればと、働く場所の提供を行うために、リサイクル店を作り、また、住む家のない人のために、寄宿舎も作った。
神に仕えるものとしては当たり前の事だと言う人もいるかもしれないが、そうそう簡単に出来る事ではない。
地元に溶け込むために、中文のみならず、台湾語もマスター、さらには、原住民、阿美族のフランス語版、英語版辞書と布農族のフランス語版辞書まで製作された。


この人達が世界から脚光を浴びることはない。
しかし、彼らはそれを望んでやっている訳ではない。「お役に立てれば」その一心だけだ。そこには何の駆け引きもない。純粋なる心だけが存在する。


今の世の中、「自分は他人のためにこんな事をしました。」と自慢したがる人が多いが、そういった人は、その一場面だけをみていると素晴らしい事をされていると思うが、その人間全体を見た時に、前者の方々の様に、澄み切った心というのが見えない。


生きている以上、誰もが多かれ少なかれ、誰かの役に立っているものだと俺は思う。
それを自慢するかしないか、それを当然のことだと純粋に思えるか否かの違いだと思う。


また、前者の方々には誰に何を言われても、絶対に曲がることの無い信念がある。
自分の信念を貫き通し、なおかつ、そこに、何の駆け引きもない、純粋な心で貫き通せる。並大抵の人間では出来ない事だろう。
俺もそのような人間になりたいと日々、精進しているが、まだまだ精進が足りない。


反省の日々である。

×

非ログインユーザーとして返信する