俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

「権力」に執着するとロクなことはない

政治の世界でも、会社内部でも、ご近所でも、野望に燃えた人間は必ずいる。
その人間が一番欲するものは「権力」だ。
政治では首相、大臣になって、絶対的な権力を得ようとする。会社内部では、社長の座、重役の座を得ようとする。ご近所では、その地域のドン的存在になって、自分の思うがままにしようとする。


俺は、「力は石造りの家の様に、何百年ももつ」と言った。しかし、その力とは権力ではない。俺に言わせれば、権力は無限のものではない。長い自分の人生からすれば、絶対的な権力の座に君臨できるのは、ほんの一瞬だ。その座から降りた時、一瞬にして権力は失せていく。ただの一人の人間になってしまう。


権力などというものは、所詮は儚いもので、シャボン玉のようにすぐに消え去っていく。
一昔前までは、創業者が自分の事業を大きくし、従業員からも尊敬され、一目置かれる存在であった。松下幸之助氏、本田宗一郎氏などはその典型的な例だ。
しかし、今の時代、例え、創業者であっても、その寝首を狙う者がいる。権力を手に入れた代償として、常に、大きな責任とそして自分の座を狙うものへの警戒の日々が続く。


男でも女でも、一度手に入れた権力は失いたくない。少しでも長く、その権力を手にしていたい。故に、様々な画策をする。自分の座を脅かす可能性のある者を徹底的に排除したり、汚れたことにも手を染めるようになる。
権力は人格までをも変えてしまう。
人格が変われば、家庭内での態度も変化する。その結果、家庭不和が起こる。被害者は、パートナーであり、子供だ。
権力を手に入れたが、一番大切なものを失う結果にもなる。


大手企業の重役であっても、現役時代に亡くなれば、盛大な葬儀をしてもらえるが、肩書が無くなってからでは、本当に寂しい葬儀となることが多い。
現役時代には多くの人達がその人の周りに集まってくる。その人の人格に引き寄せられて集まってくる人はほとんどいない。肩書に群がっているだけだ。
それって本当に人間としては寂しいよなあ。俺は絶対に嫌だね。


会社員として働き始めた以上は、少しでも高い地位を目指したと思うことはいい。しかし、その地位ばかりに執着はしない方がいい。すなわち、権力だけに執着するなという事だ。目指すものはその道でのプロフェッショナルになることだ。
そのためには、少しでも多くの知識を身につけ、その知識を生かせる知恵を磨き続けることだ。それこそが、真の力であり、石造りの家をつくることの出来る力だ。そういった力を備えた人間の元には、例え、肩書がなくても人は集まる。いや、逆に、肩書がないから集まるのかも知れない。



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