俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

女子社員の特権、それはお茶汲み。それをきちんと評価できるシニア世代になって欲しいね。

今日は、男女平等という事について俺なりの意見を述べさせてもらおう。


少し前から、日本のテレビコマーシャルで、女性が男性をバカにするようなコマーシャルが増えてきた様に感じる。これがもしも逆だったら、抗議の嵐になるのだろう。
最近もある自動車メーカーのコマーシャルで、夫が休みの日にサーフィンに行く。その際、妻と子供も付き合わなければならない。夫はサーフィンを楽しみ、妻と子供は、車の後ろのハッチを開けて、そこで、夫のサーフィンを見ている。というコマーシャルに対し、「夫の趣味に、妻や子供を付き合わせるのは差別だ」と抗議が殺到し、放映中止になったと聞いた。
これが逆に、妻がカルチャースクールへ行く。夫が子守をしながら妻の終わりを待っている。この様な内容のコマーシャルなら、抗議は起こらない。


俺は今の日本、何かが変だと感じる。確かに、職場での男女差別は未だにあるだろう。賃金の格差、昇進のための評価、チャンスというものは、男性の方が女性よりもはるかに優遇されている。まだまだ男女雇用均等法が正しく運用されているとは言えないだろう。


しかし、だからと言って、あまりにも男女差別に対して神経質になり過ぎるのは如何なものかと思う。と、同時に、実社会では男性有利、女性不利だからと言って、コマーシャル等々で、女性が男性をバカにするような内容を許して良いのだろうか。


平等とはそもそも何なのか。社会の全員が、皆、平等というのは資本主義社会では有り得ないことだ。格差が生じて当然。能力のある者、知恵と知識のある者、チャンスを確実に掴んだ者が豊かになり、そうでないものとの間で格差は生じる。格差をなくして、全てが平等というのは、共産主義社会か、社会主義社会でしか実現出来ない。いや、共産主義、社会主義社会でも、結局は、一部の権力者だけは豊かな生活をしている。中国やロシア、北朝鮮をみればわかるだろう。


女性でも会社内で実力が認められ、幹部、重役になっている人もいるが、日本ではその数はまだまだ少ない。これは絶対に是正すべき問題だろう。この会社内での男女差別をなくすのが、俺達シニア世代の大きな役割ではないだろうか。
性別に関係なく、実力のある者が昇進していくシステムを構築し、完成させなければならない。それを、次の世代に引き継いでいってもらわなければ、日本の会社組織は何時まで経っても、年功序列のままで、女性が夢を持って働ける職場にはならない。


一方、女性側も、職場での平等な扱いを求める以上、それ相応の仕事をしなければならない。作業ではダメだ。仕事をしなければならない。
いつも俺が言う「権利の主張をする前に、義務を果たせ」ということだ。
男性と同じように、転勤、海外出張、必要な残業、接待もこなさなければならない。


しかし、インドや韓国の様に、レイプ事件が多発している地域への女性一人での出張は危険だ。また、セクハラオヤジが多い接待もなかなか難しい点がある。
一歩間違えれば、会社側の責任をも問われかねないことになる。
と、なると、どうしても男性と同じような仕事をこなす事は難しくなる事も事実だ。


では、その分をどの様にしてカバーするか。それは、女性ならではなの細やかな心配りだろう。男性では気が付かない部分を女性が補える。


お茶汲みもその一つだろう。男性社員が何も考えず、ただ単にお茶を出すというのと、女性ならでは視点で、「この客、この同僚、この上司には、こういった味のお茶がいいのではないか」という細やかな心配りだ。


以前、俺の会社に勤めていた女性社員の話をすると、彼女は、得意先の顧客の好みを細かに観察していた。「あの人は、夏でもお茶は熱いのが好き」「あの人は、コーヒーはブラック」「あの人は、コーヒーは苦手」等々、全て、彼女の頭の中にインプットされている。
こういった細やかな気配りが出来る女性は、新しい企画を考えさせると、実に見事に、顧客の求めているものを見つけ出し、形にできる。


こちらがイライラしている時に、緑茶よりも少し温めの玉露を用意して、そっと持って来てくれる。この一杯のお茶で、どれだけ心が落ち着くかを知っている。
俺は、必ず、その女性社員の名前を付けてお礼を言うことにしていた。
自分に用意してくれ場合でも、自分のお客様に対して用意してくれ場合でも、必ず、お礼を言う様にしていた。
実際、本当に感謝していたからだ。


この話を以前、俺の友人にしたところ、そいつは、翌日、会社内で、お茶を入れてくれた女性社員に対し「○○さん、ありがとう。君の入れてくれるお茶は最高だよ」と言って、周りから白い目で見られたと怒って電話があった。
俺はそいつに対し「当たり前だ。一言余計なんだよ。感謝の気持ちを現すなら、心から一言、「ありがとう」だけでいいんだよ」と言い返した。
そう、感謝の言葉に余計な飾りは必要ない。相手の名前を言って、相手の眼を見て、心から一言「ありがとう」で十分なのだ。後は、その人の評価をする際に、その部分をしっかりと評価すればいいのだ。

俺は、お茶汲みをバカにする人間は最低だと思っている。いや、逆言えば、完璧なお茶汲みの出来る女性は、どんな仕事を任せても完璧な仕事する。また、こういった女性を幹部にすれば、部下はとても働きやすく、能力を発揮できる。


「女子社員にお茶汲みをさせるのは差別だ」と言っている人もいるようだが、俺はそうは思わない。俺から言わせれば、女子社員にだけ与えられた特権だと思う。その特権を差別と受け取るか、チャンスと受け取るかは、本人次第だろう。


こういった点をしっかりと俺達シニア世代は評価しなければならないのだ。


これは家庭内でも同じことだ。自分の妻が、自分のために作ってくれる食事。これは妻にしか出来ない事だ。毎日、洗濯された下着を着れるのも、アイロンの当たったシャツを着れるのも、すべて妻のおかげなのだ。その事を当たり前などと思っているオヤジがいたなら、そいつは底なしのバカだな。さっさとそんな旦那は捨ててしまえ。


会社内においても、家庭内においても、男女にはそれぞれに役割分担がある。その役割に対し、互いに、感謝の心を持ち、評価する心を持たなければ、会社も家庭も崩壊してしまう。

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