俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

如何なる時も恩義を忘れず、報恩一途の道を歩め

今、自分が歩んでいる道は、元々、自分が好き好んで選んだ道だろうか。
自分が願望していた道だろうか。
もしも、自分自身が願望していた道ならば、如何なる困難が待ち受けていようと、それは乗り越えて当然の事と思い、乗り越えていくだろう。
しかし、自らが願望した道でない場合、困難にぶつかった時は地獄だろうなあ。苦しく辛い道だろうなあ。でも、家族のため、自分自身のために乗り越えていくしかないと諦め、何とか必死に乗り越えていくんだろうなあ。


どちらも結果的には困難を乗り越える訳だが、乗り越えた後の達成感は当然、自らが願望した道を歩んでいる者の方が大きく勝るだろう。
達成感を得られない道を歩み続けることが、本当に自分のためであり、家族ためなのか、俺にはわからない。俺は、自らが願望した道しか歩んでいないから。


自分自身が願望した道を歩むというのは、気楽でいいと思われるだろうが、実は、そうでもない。願望した限り、諦めは許されない。自分が納得のいく答えを得るまで、何があっても前進していかなければならないからだ。一切の言い訳も通用しない。
逃げ道がないということだ。
万が一、失敗しても、誰にも責任転嫁は出来ない。当然の事だ。失敗をすべて自分一人で受け止め、乗り越えるしか方法がない。


当然、その分、納得のいく答えを得た時の喜びは、言葉では言い表せないものがある。その喜びを得るがために、日々、孤独な戦いを続けるしかないのだ。


好きではないが、生きるために続ける仕事。これもまた、苦悩の多いことだと思う。
生きるためだから、ある意味、こちらも逃げ道が無いように思うだろう。しかし、生きるためにだけなら、その方法は色々とある。プライドという厄介なものを捨てれば、人は生きていける。別に、ホームレスになれと言っているのではない。今の職を辞しれも、別の職を探すか、独立するか、非正規雇用の道を選ぶか、方法はある。
俺は言いたい。願望した道でない道を歩んでいる人は、必ず、逃げ道だけは常に用意しておけと。
責任転嫁などという醜いことはせず、逃げ道を作っておけばいい。「逃げるのか」と言われてもいいじゃないか。いつも俺が言っている様に、他人は好き勝手なことを言う。でも、だからと言って、他人はあなたの人生に責任を持ってはくれなしい、一生の面倒を見てくれるわけではない。
だから、他人のいう事を気する必要などないのだ。確かに、実際は気になるというのは当然の事だろうが、そこは、ある意味、開き直ればいい。
でも、恩義だけは忘れるなよ。恩のある人に、後ろ足で砂をかけるようなマネはしてはいけない。


あなたは、自分の願望した道を歩むか、それとも、生きるためにだけの道を選ぶか。どちらも、困難は待ち受けている。そして、どちらの道が正解かは誰にもわからない。
いずれの道も、恩義を忘れず、報恩の道を歩んでほしい。

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