俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

古いアルバムを引っ張り出してみようぜ!

「56年間の俺の人生は・・・・」てな感じで、俺もよく「人生」って言葉使うけど、「人生」って言葉の意味、どのように解釈している?


人が生きると書いて「人生」。この人って誰の事?

自分自身の事を語る時の「人」って、自分自身の事だよね。自分を生きる。すなわち、自分らしく生きるって事が人生だと俺は解釈している。

でも、この意味を理解できるようになったのは50を過ぎてからだ。


若い頃は前を向いて、ひたすら走り続けるだけだった。孤独なマラソンランナーの様にね。しかし、50を過ぎた頃から、「孤独なマラソンランナーではダメだ。駅伝走者でなければ」と感じ始めた。

次の世代に正確にタスキを渡すために走らなければならないと思った。


そのためにも、俺自身がどれだけ自分らしさを出しているかを考えるようになった。

「自分らしく生きる」って難しいよな。一歩間違えると、俺達の年代になると、単なる融通の利かない、頑固おやじになっちまう。


また、自分らしく生きていると、批判も受ける事が多くなる。まあ、批判というより、妬みがほとんどだけどね。


そうそう、その前に、「自分らしく生きる」と言葉では簡単に言えるが、では、「自分らしく」って何が「自分らしく」なのかを自分自身でわかっておかないとダメだよな。


今まで自分を見つめなおす時間すら惜しんで働く続けてきた同世代のシニアオジサン達よ、そろそろ「自分」というものを見つけないかい。

仕事はある程度部下たちに任せ、たっぷり残っている有給休暇でも取って、妻と二人、二度目の新婚旅行にでも出かけたらどうだい。

一人では探しきれない「自分」でも、妻と一緒なら見つけられるかも知れないぜ。


人間50を過ぎたころから一気に体力は衰えていく。いくら普段からスポーツをやっている人でも、いや、逆に、スポーツをやっている人ほど、体力の衰えはが実感できるのかもしれない。

人間も車と同じ。年式が古くなればなるほど、メンテナンスは必要だ。新車の頃の様に、急発進も出来なくなる。セカンドから一気にトップギアなんてことも出来なくなってくる。

心も同じだ。心のメンテナンスは必要だぜ。


一度さ、休みの日にでも、昔のアルバムを引っ張り出してみたらどうだい。出来れば妻と一緒に。

懐かしい色々な思い出が蘇ってくるはずだ。お金は使えば減っていく。家や車は年数が経てば朽ちていく。しかし、思い出は減らない、朽ちない。


今までは前だけ見てればよかった。でも、俺達の年代になってくると、少しずつ、後ろも見るようにしないとな。

「若い頃の苦労は買ってでもせよ」なんて気持ちで頑張って来たよな。でもさ、今になって思えば、わざわざ苦労なんて買ってまでする必要はないと俺は思う。

我が子には、出来れば、苦労せずに、楽しく、楽な道を選んで欲しいと思ってしまう。

(勘違いしないくれよ。楽して金儲けしろって言ってるんじゃない)

そのためにも、どうやって伝承すべきかを考える必要があるよな。

押し付けはダメだ。きちんと物事一つ一つに対し、説明していく必要がある。

そのためにも、まずは、自分の過去もきちんと見つめなおし、その上で、経験論として語ってやることが大切だと思う。そこには、自分の失敗論も必要だ。

思い出したくもない失敗を思い出して、それを話し聞かせてやる事も大切だと俺は思う。


俺は基本的に人は信じない。いや、正確に言えば、信じられなくなった。

度重なる裏切り、陰謀、策略。人間関係では本当に苦労してきた。

妻ともよく話をするんだが、「普通の人だったらもうこの世にいないかも知れないね」と言うほどの、想像を絶するような、自殺を考えてしまうほどの経験もした。

でも、俺達家族は生きている。

何故ならば、まだやるべきことが残っているから。

泣き言いってる暇などないから。だってさ、折角与えられた命。この命が尽きるまで、やるべきことは徹底してやっていかないとね。そうでなければ、事故や病気で「まだまだ生きたい」と思いながらも死んでいった人達に申し訳ないだろう。


自分が生かされている意味がわからないという人がいたら俺は言いたいね。「今、あなたが生かされているのは、その意味を見つけるために生かされているんだよ」ってね。

その意味が見つかるまで、生き抜く義務があるんだよ。それを放棄してはいけない。

それは、先にも述べた様に、「生きたい」と思っていたにも関わらず、先立った人達に対し、申し訳が立たないからね。


「何のために生きているのかわからない」なんて事を言ってるあなた、今すぐにでも昔のアルバムを開いて、若い頃に記憶をタイムスリップさせてみな。

独身時代、新婚時代、あなたは何を思い、何を考え、何を願っていたか。

俺達の年代になると、パートナーを亡くした人もいるだろう。愛していればいるほど、パートナーが亡くなった後、「自分は何のために生きているの」と思うだろう。

そんな時は、昔に戻ろう。そこに必ず答えがある。パートナーと果たせなかった約束や自分自身が打ち立てて果たせていない自分への約束等々、必ず答えがあるはずだよ。


俺は以前にも書いたが、「思い出の中で生き抜いていく」事も大切なんだよ。

そして、その思い出を子や孫に伝承することで、愛するパートナーと共に生きてきたという証が残せるんだから。


過去を振り返った時、自分がどれだけ「自分らしく」生きてきたかもわかるでしょう。

そのためにも、一度、振り返る必要はあると思うね。


今からでも遅くはない。いや、今からだからこそ、出来るのかも知れない。「自分らしく生きる」って事がね。



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