俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

動物と人間が共存できる社会を作れるか否かは、大人の責任にある行動から始まる

動物好きな人にとっては、野良犬、野良猫を見ると何とかしてやりたいと思うものだろう。俺も動物が好き。気が付けば、野良犬や野良猫を保護し、今は、犬が6匹、猫が10匹になっている。


動物を飼う以上は責任を持たなければならない。動物嫌いな人もいるからだ。
常に清潔を保ち、臭いがしないように努力する。散歩にも連れて行ってやり、散歩中の糞の片付けもきちんとする。
動物にも命がある。その命を預かるわけだから、責任というものをしっかりと自覚し飼う必要がある。


よくいるけど、野良猫や野良犬が可哀想だと言って、無責任に餌だけを与える人。
動物は一度餌をもらうと、そこに住み着いてしまう。普段は野良で、餌だけを与えるという行為、俺は賛同できない。この行為は単なる自己満足行為にしか思えない。
あまりにも責任が無い行為だ。


保健所での殺傷処分についても色々な意見が出ている。反対だけを叫ぶのは誰にでもできる。しかし、反対する以上、その代案を提示する必要がある。先にも述べたが、全てが全て、動物好きな人ばかりではない。嫌いな人からすれば、動物のために、税金を使うなど許せないという考えの人もいる。これは責めることは出来ない。


色々な動物愛護団体が活動しているが、俺から見ると、個々での活動は素晴らしいとは思うが、どうも横のつながりが出来ていない。何事もそうだが、点ではダメだ。線にする努力が必要だ。
これは夢物語かもしれないが、全国の動物好きの人達が少しづつお金を出し合って、どこか孤島を買い上げる。そこで、日本中の野良犬や野良猫を保護する。里親探しも愛護団体同士でネットワークを確立させ、そこから全国へ発信する。もちろん、行政側の協力も必要になる。その程度の予算は、国も捻出すべきだろう。


日本と言う国は動物には冷たい国。動物保護の意識が著しく低い。だから、動物を虐待しても重罪にはならない。人間中心主義の考え方の国だ。
動物を保護する機関を作り、虐待する飼い主からは強制的に動物を取り上げ、飼い主に対し、逮捕権も持つような、そう、アメリカの様な動物保護の機関を作るべきだろうなあ。


話は少し反れるが、今の日本、逮捕権は全国民にあるんだよ。意外と知らない人が多い。捜査権は警察や検察にしかないが、逮捕権は日本国民ならばある。
動物もそうだが、子供の虐待も、児童相談所が家庭訪問し、問題がある場合は、最終的には警察でしか捜査、逮捕することが出来ない。この点も変えるべきだね。
もっと色々な機関に、捜査権と逮捕権を与えれば、警察の負担も軽減され、その分、今まで手を付けられなかった様々な事件の捜査に警官を回せると思う。


いずれにしても、まずは、飼い主の責任。すなわち、大人の責任だよ。
平気で自分の都合で要らなくなったペットを捨てたり、保健所へ持ち込むのはすべて大人だ。子供ではない。
大人のこの無責任さを子供が見て育つわけだ。負の連鎖は永遠に続くことになる。


動物と人間とが共存できる社会を作れるか否かは、大人の責任にかかっている。


俺はそう思うけどなあ。

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