俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

地球人として生きる

「日本人は生真面目で、礼儀正しく、マナーを守り、親切な人が多い」というのが、外国人から見た日本人の印象。これは皆さんもご存じだと思う。しかし、その一方で、「日本人はアジア人には強く、西洋人には弱い。」「休暇の楽しみ方が下手」「どちらかと言えば、陰気」「国際感覚に欠けている」「遊び方を知らない」「神経質」「何でもルールを決めたがる」「大らかさに欠ける」等々の声があることはあまり知られていない。


真面目な民族であるが故に、島国でありながら、今日までの経済発展を成し遂げる事が出来たと思う。しかし、その真面目さ故に、融通が利かず、遊び下手で、何事も四角四面に考えてしまう傾向も強いのだろう。


日本を離れ、海外移住して暮らしていると、日本に居ては気が付かない、見えない、日本人像がよくわかる。


まず、俺が台湾に移住すると決めた時、友人にその事を話すと「お前、日本に居られない様な事やったのか」と聞かれた。そう、大半の日本人は、日本を離れ、海外で生活する日本人(会社員の様に、会社命令でないのに、海外へ移住する人)に対しての理解は薄い。「きっと、日本で悪い事して、海外へ逃げているんだ」と言わんばかりのニアンスで聞いてくる人もいるぐらいだ。

まあ、それだけ、日本と言う国は住みやすい国なんだろうが、俺にとっては窮屈な国だった。


台湾に居て、様々な日系企業の人達ともお付き合いがあったが、全体的にローカルスタッフに対しては偉そうにしているのが日本人だな。

アジア系の人には偉そうに、西洋系にはペコペコというのが日本人という印象が強いのも理解できる。


「遊ぶ」という事に関しては日本人は本当に下手だと思う。これは観光客を見ていても感じる。もっと陽気に、旅を楽しめばと思う事がよくある。カメラを向けても日本人は直立不動、せいぜい出来て、Vサイン。笑顔も引きつっている。

バカ騒ぎしろと言ってるのではない。陽気に過ごしてほしい。このバカ騒ぎと陽気の違いがわからない日本人が多い。バカ騒ぎは陽気ではなく、病気だ。周りの人達も愉快で、明るい気持ちになれ、笑えるのが陽気。自分達だけが楽しんでいるのが、バカ騒ぎ=病気だ。


日本人は陰でコソコソと人の噂をするのが本当に好きな民族だ。俺はこういった類のことが大嫌いなので、人の噂をする人間のことは一切、信用しない。自分の目で確認するまでは、常に白紙の状態で人と会う。


何事にもルールを決め、そのルールを厳守するのも日本人。これはいい事ではあるが、ルールに拘り過ぎて、窮屈で融通が利かないのも日本人。


次の日本を担っていく若者達には国際感覚をもっともっと身につけて欲しい。


しかし、聞くところによると、今の若い人は、「転勤は嫌」「海外留学も嫌」という人が増えているとか。悲しいよなあ。

でもさ、これも俺達シニア世代に責任があるんじゃないかい。

俺たちが国際感覚を身につけ、若者達に世界へ飛び出していくことの重要性を背中で教えてやらなかった事にあると思う。


俺はサラリーマン失格の人間なので、そんな俺が偉そうに言えないかも知れないが、俺はサラリーマン時代、会社内の派閥やら、出世という事には全く興味がなかった。現場が好きな俺は、変に肩書なんて出来ると、嫌いな会議への参加も増えるし、その分、現場に出る機会が減ってしまう。誰が社長になろうと、誰が重役になろうと、誰が役職に就こうと、俺には一切興味もなければ関係もなかった。

海外赴任を打診されたときも、俺は喜んでそれを受けたね。会社のお金で、海外生活が出来るなんて最高じゃない。色々な国へ行けて、そこの人達と一緒に働き、一緒に遊べる。

これを自分でやろうと思うと、本当に大変な事だが、会社というバックがあれば、お金の心配もない。それに何よりも、海外では’100%日本式は通じない。それがいい。


俺が台湾へ移住すると決めた時、絶対条件は家族全員で行くことだった。息子は高校3年、娘は中学1年だった。息子の大学受験が終わり、大学入学が決まった段階で、大学に休学届を出し、台湾へ渡った。最初は1年間だけの約束で台湾に来た息子。言葉もわからず、友達もいない生活に3か月ほどで嫌気が差した様だ。そんな時、折角、台湾に一年間いるんだから、中国語でも勉強してみるかという軽い気持ちで通った語学学校。そこには、中国語を学ぶために、世界中から生徒が来ている。彼はそこで、生まれて初めて、外国人と接した。ヨーロッパ人、東アジア人、アメリカ人。人種は様々。彼はそこで、今まで自分は「井の中の蛙」であったことを知ったようだ。日本では有名な大学に合格した彼はそれが一つの誇りであった。しかし、海外の人にその大学名を言っても、知る人はほとんどいなかった。如何に自分は小さな国でいい気になっていたのかを思い知ったようだ。彼にとってはかなりの刺激を受けた様だ。

台湾に来て半年ほど経った夏休み。彼は日本へ友達に会いに行った。そこで、同級生達と久しぶりの再会を果たしたが、そこで彼は「同世代の連中と話をしても、何の目的もなしに大学へ通い、将来の夢もない」という現実を目の当たりにした。

語学学校に通っている仲間は将来の夢や今の世界情勢等々について議論出来たが、同世代の日本人とはその会話が出来なかなった事にショックを受けた様だ。

結局、彼は台湾に戻って来て「俺、日本の大学辞めて、こっちで本気で勉強したい」と言い出した。そして、現地の大学を受験し、今は大学生活をエンジョイしている。


娘は台湾の日本人学校へ通う事を拒んだ。その理由はまた後日記するが、結局は、現地の中学へ通った。高校は外国人受け入れ枠がなく、聴講生という形で通った。

娘も日本へ行った際、同級生と会ったそうだが、「今の日本の同年代の子にはついていけない。」と嘆いていた。


もっともっと日本人は海外に出なければと俺は思うね。そのためには、シニア世代の感覚を変える必要があるだろうなあ。

でも、この年齢になると頭は凝り固まってしまい、感覚を変えるってことも難しいだろうなあ。


海外にいて、今の日本を見ていると、将来に不安を感じてしまう。

地球規模で物事を考えられるような若者が将来、日本から出てくるのだろうかあ。


時々、人に聞かれる。「このままずっと台湾で住み続けるのですか?いつかは日本へ戻ってくるのですか?」とね。

正直なところわからない。ただ、日本への完全帰国はない。

出来れば、もっと南の国で住みたいという気持ちはある。寒いのが苦手なので、常夏の国が好きだ。人目を気にする必要もなく、煩わしい人間関係もない、のんびりと、好きな事をして生きていける場所がいい。

日本は故郷。大好きな国。それには変わりはない。そして、どこへ行っても自分は日本人。これも変わりはない。ただ、日本には住みたくない。

海外で、日本人としての誇りを忘れず、日の丸を誇りに思いながら、地球人として生きていくことが俺の活き方だ。


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