俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

自分で絵筆を選び、自分で色を選び、自分が最高の監督となってこそ、意味のある人生だ

人間は、真っ白なキャンパスの状態で生まれ、そこに、自分自身で絵を描いていく。
使う絵筆によって線の太さが変わり、使う色によって彩も変わる。
同じ絵は存在しない。唯一無二の絵を各人が好きな様に描くことが出来る。


また、よく「人生という舞台で」と表現するが、大切な事は、人生という舞台で単に演者として演じるだけなのか、自分自身が優れた監督となるのかによっても人生は大きく変わる。
自分の人生、人によって演じさせられている様ではダメだ。自分の人生は、自分が優れた監督にならなければいけない。


日本の会社は社員を、会社という舞台で演じさせようと、色々と強要する。サラリーマンやOL達は、部長、重役という監督によって、彼らの好きな様に演じることを命じられる。俺はいつもその光景に疑問を感じている。


答えの出ない、無駄な会議をいつまでも続ける会社。答えが出ないのであれば、リーダーである上司が答えを出し、そこへ向かって全員を誘導していけばいいものを、責任を回避したがために、上司も答えを出そうとしない。そのくせ、「こうあるべきだ。だからお前はこうしろ」と命じるだけ。言われた通りに行動(演じて)みても、その結果が、上司(監督)の思惑と違えば認めてはもらえない。時には、人格を無視したように激怒される。


確かに、各人が自分自身が監督になってしまうと、スタンドプレーばかりになり、同じ方向に向かって進めないではないかと言われるだろう。しかし、映画でもドラマでもそうだが、「何を訴えたいのか」というテーマだけははっきりとしている。
そのテーマにより近づけることが出来るように、演ずる事ができる役者ほど、一流の役者と言える。監督が、「ここは、このように演じてください」と言っても、その内容が100%、テーマに沿っているとは限らない。その場合、役者の方から「監督、この場合は、そうではなく、こういった演じ方の方がよりテーマに近づき、リアルさが出るのではないでしょうか」と提案できる役者は超一流だ。(最近ではそんな役者はいなくなったが)
役者もまた、自分が演ずる役柄に関してはその役柄の自分監督でなければならない。


会社でも同じだ。まずは、会社はどこを目指すのか。誰のための会社であり、誰のために仕事をするのかというテーマをしっかりと掲げ、それを忘れないこことだ。俗にいう、経営理念ってやつだよな。経営理念を社員も重役も、120%理解して仕事さえしていれば、各人が監督になっても、それは、決してスタンドプレーでもなければ、まとまりがつかなくなるような事態にはならない。


監督からの指示通りにしか演じられない様な大根役者になってはダメだ。


自分の人生は、自分で絵筆を選び、自分で色を選び、自分が最高の監督になってこそ、初めて意味のある、意義のある、人生になる。


俺はそう思うけどなあ。

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