俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

年代ごとに見える峰からの景色は異なる

「人生は登山の如し」とよく言われるよな。登り坂があれば、下り坂もある。一つ山を越えれば、その先に、さらに山がある。一つの山を登頂するからこそ、次の山へ挑もうとする。そうやって人生という山をいくつも越えていく。


山には必ず峰がある。人生も同じだ。年代ごとにそれぞれの峰がある。峰の景色も年代ごとに異なる。20代に見た峰からの景色。その時は感動したはずだ。しかし、50代になると、20代の頃に見た景色に感動しなくなっている。その景色は当たり前の景色になってしまっている。これって寂しいよな。


人間、何歳になっても、感動した頃の心は持ち続けたいものだ。


しかし、歳を重ねるごとに、綺麗な景色だけではなく、醜い景色の目にするようになる。
そのために、徐々に心は曇り、眼も曇る。まあ、それだけ世の中には醜い景色が多いってことも言えるだろうなあ。


でもさ、その醜い景色を作り出しているのはほとんどが大人だ。大人が見える景色を変えている。自分達に都合の良い景色に変えてしまう。それが若い人達からすれば違和感に感じるのだろう。


世の中の常識も同じだ。年を重ねるごとに、自分に都合の良い常識に変えてしまう。
それが他の国の人達から見れば、非常識、違和感にしか過ぎないことでも「それが日本の常識だ」と言い張る。新しい感覚を取り入れる事に拒否反応を示す。
若い人は積極的に新しい感覚を取り入れる。それがまた、年長者の反発を買い、「今の若い連中は常識を知らない」と激怒する。


俺達が20代の頃見たころの峰からの景色と、今の若い人が見る峰の景色とは違う。
だから、感覚も違って当たり前だ。
俺達が若い頃も、当時の年長者は同じことを感じていたのだと思う。世代の感覚が変わるからこそ、新しい製品も生み出されるというものだ。


若い人達の感覚を理解しろとは言わない。理解は出来ないのだから。だが、全面否定はして欲しくない。俺達の世代はすぐに否定したがる。これは大きな間違いだし、折角の新たな息吹を摘み取ってしまう事になる。


年代ごとに見える峰からの景色は違うということを忘れないで欲しい。


俺はそう思うけどなあ。

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