俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

準備は万全!でもそれが落とし穴になるんだぜ!!

昨日は俺が芸能界という世界に身を置いていた事を話したが、最近の芸能界は以前の様に、演技の上手い下手はあまり関係ないようだ。テレビにしても映画にしても、とにかく人気のある俳優(歌手)を主人公に使えば、何とか業界的には成り立つといった感じだ。故に、最近のテレビドラマを見ていても、心に残る、心打たれる内容のものが少ない。

見ていても飽きてくるし、見ようとも思わなくなってくる。

製作費も安くなり、その結果、重鎮と呼ばれるベテラン俳優さんが使いづらくなる。

しかし、ベテラン俳優さんも仕事がなければ食っていけない。だから、くだらない内容のドラマであっても、生活のために出演する。当然、周りの演者が下手なので、ベテラン俳優さんもその分、手を抜く。悪循環だ。


さらに、撮影方法も昔とは大きく変わり、大人数のスタッフから小所帯になっている。

そのため、技術者も育たない。カメラマン、照明、音声共に、ベテランさんの技術を受け継ぐものがいなくなっている。特に、関西方面では深刻な問題になっている。

関西で撮影するのに、わざわざ、関東からスタッフがやってくるという事も珍しくない。


フィルム撮影からビデオ撮影になり、今ではデジタル撮影。フィルム撮影の時は、現像するまでその出来栄えはわからない。だから、監督によっては、何度も何度も同じシーンを撮影し、膨大なフィルムの長さになったという話を耳にするが、今では、撮影したその場ですぐにモニターでで確認。ダメなら、すぐに撮り直しが効く。

便利になればなるほど、技術者の育成が進まない。


演技もCGの技術進歩のおかげで、多少の事はフォロー出来るようになり、演技者も楽になった。昔は背中で演技出来る俳優さんもおり、その俳優さんの演技を必死になって学ぼうとする若手俳優さんも多かったとし聞く。

しかし、今はそんな必要もない。棒読み演技しか出来ない素人に毛の生えたような若者が主演でドラマが、映画が作られる。


よく「今回の役を演ずるために、役作りには苦労しました。」などと偉そうに言っている役者がいるが、その割には演技の内容はその役者が出ている他の番組と何も変わっていない。


縁があって首を突っ込んだ芸能界。

刑事、やくざ、医者、大企業の社長、優しい父親、町工場の社長、殺人鬼等々、色々な役を演じた。しかし、役作りのための準備は一度もしたことがない。

例えば医者の役なら、「病院へ行き、医者の動作等々を観察、勉強しました」なんて役者もいるが、それで演じたところで、それはその観察した医者のコピーを演じているだけ。

脚本家、監督が求める医者が果たしてその医者なのかはわからない。台本を読み、まずは脚本家が求めている医者像がどんなものなのかを考える。そして、いくつかのパターンを用意しておく。後は、現場に行ってから、用意したいくつかのパターンから「これだ」と思うものを演じる。後は監督任せだ。

時には休み時間に監督に直接聞く事もあった。その方が手っ取り早いし、演技のマンネリ化が防げると俺なりに考えたからだ。


別に、この方法が正解と言っているのではない。本当に正解だったら、俺は今頃、有名な俳優になっていただろうしね(笑)だから、あまり偉そうには言えないのだが、まあ、独り言として許してほしい。


元々、芸能活動を生業にする気はなかったし、ただ、楽しく、面白いという軽い気持ちで始めた。ただし、やるからには、俺なりに真剣に向き合ったつもりだ。

ここでの世界で学んだことは、後の俺の生業にも大きく役に立った。


人に何かを伝えたい、訴えたいと思うとき、まずは声を前に出す必要があるってことだ。

「声を前に出す」これは大声を出せと言っているのではない。

目に見えない声という物体を、意識して、前に突き出すようにする。そうすれば、相手にその声、その心が届く。


もう一つはすべての事に準備万全にはしない。準備万全の態勢で何かに挑み、万が一、想定外の出来事が発生した時、万全過ぎたが故に、慌ててしまい、対応出来なくなる。

常にいくつかのパターンを用意し、最後の一つのパターンは白紙の状態にしておく。

自分が自分が用意したパターン以外の事が発生した時は、自分が用意したパターンをすべて忘れ、その場で、白紙に自分なりに自由に書き込みを行えばいい。


また、突然、スピーチの依頼を受けた時、緊張したり、あがってしまう人がいるが、そういった場合、絶対に観客の目は見ない。遠くの目印になる一点を見つめる。

例えば、壁にかかっている時計だとか、照明など何でもいい。そして、いきなり本題に入らない。まずは、司会者が言った言葉を復唱する。「突然ですが、スピーチをお願いしますと司会者の方に言われました、○○です。さーて、困りましたねえ。人一倍緊張する私に、何の予告もなしにスピーチを依頼された司会者の方、後で何か美味いものをごちそうしてもらわないと。(司会者が女性なら、「後でデートしてもらわないと」)と、笑顔でいってみると、意外と気持ちが落ち着く事もある。


さらに、事前にスピーチ等を依頼されている場合、(これは仕事でのプレゼンの時も同じ)完璧な原稿を作成し、それを徹底的に暗記するって人もいるけど、これも危険だね。

その場になって、突然、暗記していた事がぶっ飛んだり、予測不能な出来事が起こったりするともうアウト。

コツは、あらすじだけをしっかりと頭に叩き込んでおくこと。そうすれば、その場の空気に併せてしゃべれるようになる。

また、プレゼンの場合も、あらすじだけを覚えておけば、準備時間も短縮できる。短縮出来た時間で、「これはあまり必要ないかもしれない」と思われる資料等々も準備しておく。


成績優秀な同僚に同行し、その人のやり方を学ぶ。これは大切だろうが、大事な事は真似をするってことではないという事だ。

人にはそれぞれに個性がある。同じ個性の持ち主などいない。

だから、上手くいっている人を真似て、自分も上手くいくなんて思っていたら大間違い。

営業なんかでは、お客様もすべて違う。毎度毎度、同じ対応をしていてはダメ。

お客様ごとに、そのお客様にあった自分を演ずる必要がある。

ただし、芯は一本。「お客様のお役に立てるように」これさえブレなければいい。

子育ても同じ。他人の子育てを真似ても意味がない。自分の子供にしっかりと向き合い、その子の個性にあった教育方法を見つけ出す事が大切だ。

「○○ちゃんがどこそこの有名な塾に行ってから、成績がアップした」だから、自分の子もその塾に通わせれば成績がアップするなんて思っている親はバカだね。

自分の子供にあった道を提案してやれない親なんて、最低だと思うよ。


現に俺の息子も有名な進学塾に入った事があった。しかし、俺は最初から反対だった。

しかし、周りの子が通っているし、あそこは有名な進学塾だからという理由で、「本人も行かなければダメだ」と思い込んでいた様だ。

しかし、案の定、成績は一向に上がらず、本人もだんだん嫌気が差していた。

塾の三者面談の際、塾の先生から「息子さんは一向に成績があがりませんね。もっと家庭内でもしっかりと予習復習させて頂きたい」と言われた。

俺はそれに対し「成績が上がらないから塾に通わせているんですよ。家庭内での予習復習の方法が本人はわからないから塾に通っているんですよ。こちらの塾では成績優秀な子しか通えないってことなんですね。学びたいというd意欲のある子ではなく、優秀な子を求めているという事なんですね」と言ってしまった。そして、その場で辞める事を伝え、息子と塾を出た。

その後、息子と話をし、結局は家庭教師を付けることした。教育大学の学生さんだったが、息子の性格をしっかりと把握してくれ、わずか数か月で成績は驚くほどにアップ。中学校では「絶対にこの高校は無理です」と言われていた高校に合格。

それまで勉強などほとんど興味のなかった息子が、一人の先生との出会いで、勉強の楽しさを知ってくれた。


おっと、また話題が逸れてしまった。

いずれにしても、万全の準備はやり方を間違えれば、本番でパニックを起こしてしまう。


そう言えば、俺も、台本のセリフを真面目に完璧に覚えて行ったことなかったなあ。

監督によって、台本通りにセリフを言わないと怒る人もいたが、大半は、ある程度違っていても、その分、その場面にマッチしていれば、OKでたっけなあ。


まあ、どんな経験であろうと、無駄にはならない。色々な経験してみるってのも、結構、面白いものだぜ!!

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