俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

失敗という肥やしを与えられた事に心から感謝しようぜ

ここしばらくは出張のため執筆できませんでした。
今回の出張、花蓮で生まれ、花蓮で育った、湾生と呼ばれる方々をご案内し、台湾一周をしてきた。
今回の湾生の方、93歳と83歳の方々4名。しかし、とても93歳、83歳には見えない、元気な方々だった。
しかも、皆さんお洒落だった。女性は何歳になってもお洒落を忘れては欲しくない。


さて、今日の本題に入ろう。
皆さんは失敗をした時、どのように感じ、どのように対応するだろうか。
まずは、謝罪から始めるよな。会社なら、上司や取引先に謝罪。問題はこの謝罪の中身だ。失敗したことに素直に謝罪するならいいが、人間というのは自分が可愛い。どうしても謝罪しながらも逃げ道を作ろうとする。何かに責任転換したいものだ。
「すべては自分の不徳の致すところ」と潔く失敗を認め、謝罪するという事が出来る人が少なくなった様に思うのは俺だけだろうか。
まずは言い訳から始まる人や、謝罪しながらも、言い訳を盛り込む人が少なくないよな。
これでは、心からの謝罪にはならない。失敗した以上、全責任を自分が負うというぐらいの覚悟が必要だ。でも、責任=辞表なんて思うなよな。


謝罪した後どうする。中にはひどく落ち込む人もいるだろう。同じ失敗をすることを恐れ、二度とチャレンジしない人もいるだろう。
しかし、これでは何のための失敗だったのか判らない。失敗を単なる失敗で終わらせるのか、失敗を成功の基に出来るのかは、謝罪以降の心と行動にかかっている。


失敗後、落ち込む人や二度とチャレンジしない人ほど、失敗した時の事をいつまでも引きずっているものだ。失敗した瞬間の場面を何度も何度も思い出す。走馬灯のように頭の中、心の中をひたすら巡っている。


あるテストで判っていること事だそうだが、そういう時は2分間、まったく別の事を考え、熱中すると良いそうだ。例えば、本を読むとか、ゲームをするとか、スポーツをするとか。酒を飲むのはダメだぞ。ますます自分を追い込むだけだから。
思考回路を一旦、別の事に集中させると良いそうだ。これは日々のトレーニングで身に付くんだってさ。
そういえば俺も、失敗した時は、謝罪し、その後はしばらく別の事に集中する。その後、再度、失敗した場面に戻り、「何故自分は失敗したのか」を冷静に分析するようにしている。


失敗やりっぱなしではダメだぞ。必ず、原因の分析を行う事だ。その際、決して、人や時代、物質の責任にしない事だ。人が悪かった、時代が悪かった、あそこにあれがあったのが悪かったという前に、それを予知できなかった自分が一番悪いのだから。


そして最後に、失敗という勲章を与えられたことに感謝するんだな。
いつまでも愚痴を言ってるようでは、例え分析しようと、反省しようと、何の肥やしにもなっていないということだ。


人生の肥やしは失敗。その肥やしを与えられた事に、心から感謝するんだよ。


俺はそう思うけどなあ。


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