俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

心に寄り添う事の大切さ

56年人間をやっていると、色々なところにガタがくる。

高血圧で苦しんでいる人、糖尿病で苦しんでいる人、慢性肝炎で苦しんでいる人等々、様々な病気が容赦なく襲ってくる。


俺も今回、メニエール病になり、改めて、健康の大切さを実感している。

今日、花蓮市内の総合病院へ行き、精密検査を受けたのだが、メニエール病から突発性難聴になってしまったようだ。発病後、すぐに検査を受けて、一週間ほど入院治療していれば防げたかも知れないとと言われたが、発病して時間が経ち過ぎているため、めまいに関しては完治するが、右耳が完全に聴力を取り戻すことは難しいと言われた。


「病は気から」と言うが、普段、元気だった者ほど、発病すると気が滅入ってしまうものだ。

俺の様に、じっとしていることが嫌いな人間にとって、「安静」というのが新たな病を呼び込むように思う。

何とか、自分自身に対し、「じっくり時間をかけて治していけばいい」と言い聞かせるが、もう一人のわがままな俺が「さっさと治れよ!」と叫んでいる。


まあ、今日、医者から右耳の完治は難しいと言われたので、ある意味、諦めがついた。

この病と仲良く暮らしていくしかないのだろう。

命まで取られる訳ではないし、生きていれば色々な事がある。「仕方ない」とあきらめる事も時には必要だ。


皆さんの周りにも、病で苦しんでいる人がいると思うが。あるいはまた、ご自身が病と闘っている人もいるだろう。

病の苦しみは、病人本人にしかわからない。「一体自分の身体はどうなっているんだ」という不安と焦りと悔しい気持ち。

そんな時に「元気出して」なんて言われると逆効果だ。元気を出したいと本人が一番思っている。しかし、元気が出せないから苦しんでいる。

「頑張って」という言葉も辛いね。頑張りたいけど頑張れないのが病人。


苦境に立たされた人に対して掛ける言葉って難しいよなあ。


東北地方、熊本地方の震災被災者の方々に対しても「頑張れ、頑張れ」と声をかける人がいるが、「これ以上、どうやって頑張れって言うんだ。」という声を被災者の方から聞いた事がある。


今回、病気になって感じた事だが、言葉よりも心に寄り添って欲しいと感じた。

何も言わなくてもいい。そっと傍に寄り添い、手を握ってやって欲しい。

そうすれば、「一人じゃないんだ」と感じることが出来る。


病人にとって一番不安なのは孤独感。これは、被災された方も同じではないだろうか。


「心に寄り添う」これは、病人や被災者のみならず、子供に対しても同じだと思う。

親の目線から一方的に意見を言うのではなく、子供の心に寄り添う事が大切だ。

子供には子供なりの考え、意見がある。

大人からすれば、「何を甘えた事言ってるんだ」と感じることでも、決してその言葉で一喝してはいけないと俺は思うね。


今の学校教育の現場でも、すべてが「ダメ」から始まる。否定から始まる。俺はこのやり方には反対だ。まずは「認める」ところから始まり、その中で、許されない部分について、「何故」という事を時間をかけてしっかりと子供の心に訴えていく必要がある。

さらに言うなら、学校に子供の心の教育を委ねるのは危険だ。

今の教員はサラリーマンと思った方がいい。昔の様に、子供と真剣に向き合い、時には一緒に泣き、悩んでくれる教員はいないと思った方がいい。


子供の心の教育が出来るのは親だけ。両親だけ。ここでわかっておいて欲しいのは、両親という部分。母親だけに押し付けるのではない。

父子家庭、母子家庭の場合は、もしも、自分の親が健在ならば、親に相談して、一緒に子供の心(孫の心)に寄り添ってもらえばいい。

親がいない時は、兄弟に、兄弟がいない時は親戚にお願いすればいい。


「心に寄り添う」。簡単なようで難しいことだが、無責任な言葉を掛けるよりも良いと俺は思うね。





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