俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

人間、寂しい時、苦しい時、悲しい時に行った判断は間違いを導く

久しぶりの投稿。最近は仕事が忙しくて、なかなか落ち着いてブログを書く事すら出来なかった。と、言うのは言い訳だよな。早い話が書く気持ちが起こらなかったという訳だ。


続ける事に意味があると思って始めたブログだったが、途中で完全に止まってしまった。これも俺の意思の弱さなんだろう。
意思の弱さと言えば、禁煙もそうだ。今までに何度禁煙宣言をしたことか。
しかし、結果はすべて失敗。情けない話だが、どうしても煙草を止める事が出来ないでいる。


人間と言うのは弱い生き物だが、自分に勝つという事が一番難しい。自分の中では、「このままではダメだ」と判っていても、どうすることも出来ない状態になってしまう。
そんな時、人は必ず、もっともらしい言い訳を自分にする。
特に、自分の人生を左右するような決断をしなければならない時、人は悩み、苦しむ。
必死に妥協点を見出そうとする。妥協点ではダメな事は判っていても、自分が傷つくのが怖いから、妥協点を探してしまう。
しかし、俺は思うんだよな。何かを決断する時は、それなりに、傷は負うものだ。それを恐れていては、いつまでも自分を変えることは出来ない。
決断は、決めて、断つ事だ。すなわち、何かを決める際、何かを捨てる必要があるって事だ。


目先の利益、目先の幸せだけを追い求めてはダメだ。人生は長い。だからこそ、未来をよく見つめ、未来への道を見つけるべきだ。


傷ついてもいいじゃないか。ズタズタに傷ついても、その傷は必ず癒える。
傷つく事すら恐れていると、たどり着くのは不幸しかないと俺は思う。


人間、寂しい時、苦しい時、悲しい時に行った判断は間違いを導く事が多い。
そんな時は、一度、自分の生きる環境を変えてみる事だ。そして、一人になって心落ち着けて考える事だ。目先の寂しさ、悲しさだけにとらわれず、一生、笑って生きていく道を探すことだ。
そして、見つけた時は、決断することだ。
傷ついた心を癒してくれるのが家族だ。そんな時は思い切り、家族に甘えればいい。


俺はそう思うけどなあ。

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