俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

俺は俺なりの生き方で、世界一の幸せ者。あなたも、あなたなりの生き方で世界一の幸せ者になろうぜ!

今日も台湾・花蓮は快晴。夏日だ。

しかし、俺は未だ病気療養中。悔しい!!

まあ、この病気は何時治るかはわからない病気。気長に治していくしかないだろう。

めまいはかなり改善してきたが、耳鳴りと右耳の閉塞感は相変わらず。こいつとは仲良く付き合っていくしかないだろうなあ。


めまいが完全に治れば、現場には復帰するつもり。じっとしているのが大嫌いな俺。このままずっとこんな生活だったら、余計に体を壊してしまう。


偶然、昨日、俺のお宿にご宿泊された日本人のお客様も俺と同じ病で苦しんだ経験のある方だった。その方も当初は東洋一の耳鼻科と言われる大病院に入院されたが、「完治はしない」と言われたそうだ。

そこで、ご自分で色々と調べられ、発病から3年目に、やっと自分なりの治療法を見つけられ、その治療に専念したところ、今では、誰よりも元気!になられた。

昨夜は、その治療法を教えてくださり、俺も今日から早速実践してみる事にした。

基本は、身体を冷やさない。そして、歪んだ骨を整体。そして、血液循環をよくし、余分な水分の放出。

この治療は、俺一人では無理なので、妻も協力してくれることになった。


人間にも元々、自己免疫力がある。特別な病以外は、可能な限りこの自己免疫力を高める事で治してきた。俺は大の病院嫌いで、薬嫌い。

今回も様々な薬が病院から出されている。今回は真面目にそれを服用しているが、正直、改善されている様には感じない。


メニエール病、突発性難聴という病は、なかなか世間では知られていない様で、理解も得にくい病。故に、周りからは「気の持ちようだ」とか「大げさだなあ」としか思われない時もある。俺の様に、世間を気にしない性格ならいいが、サラリーマンやOLの方々にとってはそうもいかないだろうし、辛いと思う。


病気の話はこのぐらいにしておこう。気持ちが暗くなるよな。


俺は今、「俺らしく生きていく」という人生を選択した。当然、それまでは、サラリーマンも経験し、会社経営も経験した。しかし、どちらも世界も、いつも人とは違う事をやっていたように思う。

サラリーマン時代、まず配属になったのが、国際事業本部。海外支店の運営担当、海外四支店の立ち上げが主な仕事。日本から出向している人達は、オフィスでのデスクワーク中心なんだけど、俺は常に現地の営業マンと一緒に外回り。そして、そこで様々な問題点、スタッフの声を拾い上げ、それを解決するための方法を検討、最終的にマニュアル化するという現場中心主義だった。また、現地スタッフで、とても頭の回転の速い女性スタッフがいたので、その女性に協力をしてもらい、マニュアル作りをやっていた。「あの二人、出来てんじゃないのか」という噂も流れたね。確かに、可愛くて、魅力的な女性だったけど、そこは仕事として割り切っていかないと。俺も、サラリーマンになる前に既に、10年間、台湾で自分で仕事をしていたので、台湾人女性の良さと怖さは十分に知っていたから、下手に手出しはしなかった。(これも色々と若い頃に経験したからかなあ(笑))

しかし、どうも日本人の同僚や先輩、あるいはまた、それまでの日本人スタッフと交流のあった台湾人スタッフには、俺は相当のプレイボーイ、女タラシに映っていたようだ。


特に、シニア世代の日本人ってこういった類の噂話って好きだよね。ある意味、意識過剰というか、異性との交流が下手というか、下心が有り過ぎるというのか、これもサラリーマンが嫌になった原因の一つでもあったね。


国際事業本部が解散になり、日本の支店勤務に配属になった時も、俺は、俺なりの方法でやっていた。俺の勤めていた会社では、支店内に、社員と独立事業主と呼ばれる人がおり、社員は独立事業主をサポートするしながら、自らも営業成績をあげるという職務があった。営業責任の社員は3名。その下に独立事業主がつく。


俺は3か所の支店で勤務したが、何故か俺の下につく独立事業主は、支店内でも問題児と呼ばれる連中ばかりだった。後で知ったが、新任社員に対し、この問題児達が洗礼の意味を込めて毎回、新任の下を希望していたと知った。そのために、新任はノイローゼになったり、配置転換を希望したり、中には退職した者もいたそうだ。

でも、俺自身が会社内でも問題児だったから(笑)、誰が下にきても気にはしなかった。


まずは、初回のミーティング。問題児達(当時は全員が俺よりも年上ばかり)が、会社に対する不満、支店への不満、商品への不満、客の不満と、不満をバンバンぶつけてくる。

俺はそれを黙って聞いて、すべてをメモする。

彼らは俺に対して「ところで、さっきから黙っているだけだが、あんたは俺達の意見に対し、どう考え、どうしてくれるんだ」と詰め寄ってくる。


これに対し俺の回答は、「皆さんの気持ちは聞きました。ただし、これは貴方たちの気持ちであって、意見、立案ではない。従って、俺は貴方たちの気持ちに対し答える気はない。そんな無駄な時間は、俺にもあなたたちにもない。ここは支店。支店とは営業を行うところ。要は、営業成績をあげれば、誰も文句は言わない。あなたたちの営業成績を事前に調べたが、はっきり言って、貴方たちが気持ち=不満をぶつけ、それが原因だといっているのは、逃げ口実、言い訳にしか聞こえない。何一つ、その不満に対しての具体的な解決策、提案が出てこない。解決策も提案も出せないのなら、黙ってろ。

黙っていられないというなら、今すぐ辞めればいい。貴方たちは独立事業主なんだから、いつでも辞める事が出来る。

会社への不満、社長への不満をこんな支店レベルで話していても、それを支店長が会議の席で社長に対し、ぶつけてくれると思ってるなら、貴方たち、本当におめでたい人達だ。

無理に決まってるでしょう。あなた方も以前はサラリーマンやっていたんだから、その位の事はわかるでしょう。

不満言ってる暇あるんだったら、明日、どうすれば新規獲得できるのか、どうすれば、今月は先月よりも1円でも売り上げあげられるのか、もっとそっちに脳を働かせたらどうですか。真剣に仕事にのみに取り組む気がある人は俺を信じて、俺と一緒にやっていきましょう。俺に対し、腹立つ若造と思うなら、今すぐ、俺のユニットから離脱してくれ」

これが毎回、俺が最初のミーティングでぶつけた返答だった。

俺よりも15から20歳以上の年上の方々に対し、偉そうに言ったもんだと、今になって思い出すと恥ずかしい。


しかし、不思議と離脱する人もなく、俺も、各人の得意分野を徹底的に調べ、同行営業した。俺は、その人が苦手な分野、苦手な客層には一切、行かな行かない様にさせた。

例え、支店の方針で、「○○方面を今月は徹底的に攻めろ」という指示があっても、その方面が苦手な人に行かせても、絶対に上手くいかない、それは単に時間の無駄だ。

その部分は俺が陰で動いて、ユニット内で上手く分配すればいいだけ。


楽しかったね。週に一回は合同営業なんてことをやって、ユニット全員を俺の車に乗せて、地域を決めて、全軒訪問させる。一人では行けない、行きにくい、苦手な飛び込み営業も、二人一組にすれば、何故か出来るんだよな。

それまではバラバラだった問題児達にも団結心は生まれる。互いにライバルだけど、良き、仲間であり、協力者にもなる。

俺の狙いはそこだった。独立事業主とはいえ、やはり、情報交換、交流、協力、そして、理解し合う事。それが出来れば、ユニットとしては成功だ。


どんな仕事でも同じだ。小さい単位になればなるほど、横も連携、協力は必要。ユニットは絶対に必要だ。家族と同じだと。


ある支店勤務の時は、女性だけの営業部隊を作ることになり、俺が勤務していた支店でテストを行うことになった。支店長としては、本社からの直接の要請なので、失敗を恐れた。しかし、事業本部側の考えは、社長の思いつきでテストすることになった、女性営業部隊。しかも全員が主婦のアルバイト。成功率は低いと読んでいた。支店長も同じ。

しかし、失敗すれば、支店長が責任追及される可能性もある。

支店会議の席で、この失敗率が高い部隊の責任者を決める事になったが、誰も手をあげない。そりゃそうだ。失敗すれば、自分が支店長の身代わりに生贄として差し出されるかも知れない。だから、俺が引き受けた。失敗するかも知れない。でも、成功するかも知れない。そんな事、やってみないとわからない。失敗しても、成功しても、そこには必ず問題点がある。それをしっかり検証、分析し、報告すれば、それは次につながる。故に、失敗してもそれは成功への道筋となるのだからやるべきであると考えたからだ。

それに、毎日、むさ苦しい男どもに囲まれて仕事するより、女性と一緒の方が楽しい(笑)


ミーティング初日、本社より、新しい女性営業部隊の運営マニュアル、事業説明の教材等々が揃えられていた。

事前の本社側からの指示では、ミーティング初日はこれを使って8時間、俺が講師をして、支店会議室で教えることになっていた。


しかし、俺は、当日は、俺のお気に入りの喫茶店を貸し切り(もちろん自腹で)、全員をそこに集め、基本的な事、すなわち、営業する上でも最低限の伝票の書き方と、利益配分について30分ほどで説明を終え、後は、そこで世間話をしていた。

支店に戻ると、支店長の顔は赤鬼になっていた。それから2時間ほど、何かウダウダと文句を言われ、始末書を書けとも言われた。


翌日から女性部隊が営業開始。今でも覚えているが、何と当日の営業成績ベスト10は、全員が女性部隊だった。その月の営業成績もベスト5に数名の女性部隊の名前があった。

嬉しかったねえ。


月に一回、本部からの営業会議の資料が送られてきて、くだらない、机上論で考えた営業戦略がダラダラと書かれているのを、4時間ほどかけて会議する。

通常の支店会議では支店長が議事進行するのだが、女性部隊は責任者の俺がやる。

真面目にやった事など一度もない。「会議資料は帰ってから暇があったら読んでおいて」その一言。新製品については、具体的にどうやってお客様に説明すればいいか、どうすれば、今より売り上げが上がるかの具体的な方法、営業上で悩んでいる事などを全員で考え、意見を出し合い、答えを導き出す。まさに、ディスカッションをする場にした。

さらに、俺達営業指導には、毎月、営業手当として5万円が支給されていた。この5万円は俺のおこづかいだったので、これを使って、毎月何らかの賞を決めて、千趣会で購入した可愛いアルバムをプレゼントしたり、会議終了後の昼食会に使った。


女性部隊の成績が上昇し、いよいよ本部に成果を報告するという日が近づいて来た時、俺は、支店長から「次回より女性部隊の責任者をお前から○○君に代える」と言われた。

「だから、今までの成果報告等々すべての資料を○○君に引き継いでくれ」と言われた。

結果、本部への報告書は支店長、営業部長、そして、○○君の名前で本部に提出され、表彰された。○○君はその後の人事異動で、本部へと戻っていったよ。


ただ、これにはおまけの話がある。俺から新しい担当者に変更になる件を、女性部隊の会議で話をすると、彼女たちが「それなら、私たち全員、辞めます」って言った。俺はそれを必死に止めたね。「俺と運命を共にする必要はない。今のまま、俺が教えてきた通りにやれば、皆は毎月、それなりの収入を得られる。それを守ることに専念しろ。辞める事は絶対に許さない。その代り、月に一回、俺とデートして、美味いものでもごちそうしてくれ。」と。

後に、俺は、別の支店に転勤命令が出た。俺が転勤した後、女性部隊全員が辞めたと聞いたのは、転勤後すぐの事だった。


サラリーマンとしては俺は失格だ。どこの世界へ行っても、やっぱり、俺は俺なりの納得のいくやり方でないと生きていけない。生き方が下手なんだろうなあ。

でもさ、納得のいかない事を「仕方ない」と我慢して、嫌々仕事したって、絶対にいい結果なんか生まれない。

「成るように成る。成るように成らせて見せる」という気持ちで今までやって来た。

これからも同じだ。


「人のお役に立てる仕事」これが俺が一番やりたい事。自分の名声とか、名誉とか、地位とか、そんなもの興味ない。

自分が動く事で、人が笑顔になってくれる。その笑顔を見て、「あー、この仕事やっていてよかった」て思えた瞬間ほど、「俺、生きてる」って実感出来る事ないよな。


それが俺の生き方。


だから何時まで経っても金持ちには成れないのかも知れない。でも、そんな俺の生き方を理解し、協力し、共に喜んでくれる家族が俺にはある。

世界一の女性を妻に出来、世界一の子供を授かることが出来た俺は、世界一の幸せ者だ。


同世代のシニアのみんな、人にはそれぞれに幸せの価値が違う。だから、俺の生き方が世界一だなんて思わない!という人もいて当たり前。それはそれでいい。

だからこそ、自分なりの世界一の幸せを見つけ、掴んでくれよな。

共に、頑張っていこうぜ!!!

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