俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

まだまだ修行中の俺。「不要想太多」

台湾の経済発展は日本のそれよりもスピードが早かったように思う。

30年前、まだ台北101のビルは建っていなかった。当時は、貿易センターの駐車場だった。周りには古い建物もたくさん建っており、今とは全く違う様子だった。

若者で賑わう西門町も、中華路には台湾鉄道の線路があり、西門町自体も今の様に綺麗ではなかった。台北が変化を始めたのは台北101の建築が始まった頃。一気に、街の様子が変わっていった。地下鉄工事も始まり、台北の街はあちらこちらで工事、工事。

そして、今の様な街が出来た。街が変われば人も変わる。

30年前、ネクタイをしているのは日本人だけと言ってもいいほど、皆、会社へ行くのもポロシャツを着ていた。


30年前と今と、変わっていないのは、バイクの多さと、車の運転の荒っぽさ。

台湾人は車やバイクを運転する際、自分の進む方向しか見ていない。バックミラーやサイドミラーはお飾り。車線変更もウィンカーを出す者は少なく、出しても、出すと同時に車線変更。接触事故は日常茶飯事。無理な割り込みをし、接触事故を起こしても、絶対に謝らない。謝ると負けだから。道路は常に自動車優先。日本の様に、青になったからといって、安心して横断歩道を渡っていたら、事故に巻き込まれる。


そう言えば、20年ほど前にこんな事故があった。台北で夕方に、局地的な豪雨になった。今でいうゲリラ豪雨ってやつ。台北市はすぐに、道路の排水をするためにマンホールの蓋を開けた。しかし道路は相変わらず川の様に水が流れていた。そこをバイクで走っていた人がいて、その人が蓋のないマンホールにバイクごと突っ込んだ。バイクの人は死亡。日本だったら市を相手取って裁判になるところだが、その時の判断は、「豪雨の中、バイクに乗っている者が悪い。マンホールの蓋が開いているかもしれないと予想しなかった方が悪い」で終わった。早い話が「死んだ方が悪い」で片づけられた。


また、こんな話もあった。台湾へ来たことのある人ならばお判りだろうが、台湾の歩道には数え切れないほどのバイクが駐車されている。さらには、路面店が歩道まで商品を展示していたり、屋台まで出ている。段差もあり、とにかく歩きにくい。

たまたま、ある日本人が歩道を歩いていると、風でお店の前の植木が倒れた。日本人は、親切心でその倒れた植木を起こしてやったのだが、丁度その時、お店の人が出て来た。

日本ならばここで「すみません。ありがとうございました」だよな。ところが、そのお店の人の反応は違った。「あっ、植木鉢が割れている。あなた、弁償してください」だった。日本人は驚き、「違いますよ。風で植木が倒れていたから、私が起こしてあげたんですよ」と返事すると、「風で倒れたという証拠は’あるのか。現に今、あなたが植木を起こしていた。あなたが倒したんじゃないのなら、何故、人の植木を勝手に起こした」と言い返された。しばらく互いが言い合っていると、近所のお店の人や通行人までもがその言い争いに加わり、全員が、台湾人側の味方となって日本人に弁償を迫った。結局、その日本人は、割れた植木鉢を弁償する事になった。


よく日本人は、台湾人と中国人は全く違う。という。確かに、日本に対する態度は大きな差がある。しかし、それ以外の部分では、俺が思うに、ほとんど変わらない。台北や台中、高雄と言った大都市の台湾人は確かにある意味洗練されてきたが、田舎に住む台湾人は、中国人とほとんど変わらない。列に並ばない、大声でしゃべる、路上で平気に唾を吐く、立ち入り禁止の看板は無視等々。


時代はどんどん流れていく。物凄い早さで変化している。しかし、どうもその変化に人間が着いて行っていないように思う。
台湾もあまりの早さで経済が発展したため、人が取り残されている様に思う。
あの自分勝手な運転を見れば、そうとしか思えない。
車とバイクが衝突し、バイクの運転手が大けがをしている。日本なら、周りのドライバーや通行人が救急車が来るまで介護するよな。台湾では介護する人はほとんどいない。
そのまま通り過ぎていく。「関わりたくない」精神100%!!って感じだな。

これでは助かる命も助からない。でも、あくまでもそれは他人事。自分には関係ない事として片づけられるのが台湾人。


誤解しないで欲しい。台湾人全員がそうだとは言っていない。そういった台湾人が多いということだ。

また、俺は今、好きで台湾に住んでいる。だからこそ、台湾人の良い面と悪い面の両方を見ている。そのことを忘れないでくれ。


日本人は誰かが「この人はいい人だ」と言うと、その真偽も確かめず、「そうだ!そうだ!」と言う。逆に、「この人は悪い人」と言えば、同じように「そうだ!そうだ!」と言う。

気が付けば、白ものまで黒になってしまう。自分の意見というものがない。いや、本当はあるのだが、ここで反対の意見を言って、皆からはみ出してしまう事を恐れ、可能な限り無難な方の意見に賛同する。


確かに自分の意見を貫くというのは大変な事だ。ただ単に、「反対」と叫んでいるだけではダメだ。(どこかの政党のように)反対意見を述べる場合、必ず、代案を用意しなければならない。その代案も、理想を述べるだけではなく、現実味のある代案が必要。

また、相手側と違う意見であっても、相手方の内容を100%否定するのではなく、良い部分は自分の代案に加えるべきである。

相手を否定することは本当に簡単な事が、否定だけしてその後がないのは無責任としか言いようがない。


これは、子供の教育でも同じだと俺と思う。会社内でも同じだと思う。

否定、反対だけでは、何も前に進まないし、権力だけで相手の意見をねじ伏せるなど、許されない行為じゃないかなあ。


夫婦喧嘩も同じだよ。妻の言い分、夫の言い分を互いがきちんと聞いているかという点が一番大切だと思うな。喧嘩が絶えない夫婦ほど、自分の意見だけを述べている。相手と向き合おうともせず、自分の意見を100%、相手に認めさせようとする。しかし、相手はそれを認めないので腹が立ち、喧嘩になる。


相反する人と向き合うっていうのは誰だって嫌なものだ。出来れば同じ意見の者だけで群れたいものだ。しかし、これが一番危険。群れの中の意見が「正当な意見」と思い込んでしまう。そして、視野が狭くなった群れで、相反する人を攻撃する。これが独りだったら何もできない。せいぜい、匿名でネット上で悪口を書くぐらいしか出来ない。しかし、群れになると、急に強気になる。

俺はこういった群れが大嫌い。自分というものがそこにはない。


昔の人は「例え最後の一人になっても、戦い貫く」という精神があった。しかし、今だったら、「最後の一人になる前に、強い方へ乗り換えよう」「最後の一人になる前に、逃げよう」となるだろうなあ。


そうそう、それで思い出したのだが、意見を求めると「同感です」という一言で返事する人がいるだろう。俺はこの返事が嫌いだ。俺と100%同じ考え?有り得ないことだ。俺のクローンならば別だが、他人さんが俺と全く同じ考えだったら怖いよ。

どこか俺とは違う点があって当たり前。だが、その違う点については述べない。

しかし、そのほんの少しの違う意見を言わなかったばかりに、将来、関係に亀裂が発生することがある。そして最後は別れが待っている。

まあ、他人さんとの別れなら仕方ないが、夫婦の別れとなると一大事だよな。

だから、俺がいつも言っている、「互いに本音でぶつかることが大切」なんだよ。


俺の考えに対し、「何でも本音で言えば、衝突しかない。どちらかが一歩引き下がって、折り合いを付けなければならない。それが大人の世界であり、世間と協調して生きていくってことだ」と言われるだろうなあ。

「一歩引き下がり、折り合いを付ける。協調性が大切」便利な言葉だ。

しかし俺にはその言葉は「何事も無難に、相手の立場、面子を考え、自分の考えに蓋をし、我慢する」としか聞こえない。


一歩引き下がる前に、折り合いを付ける前に、互いが本音をぶつけ合い、徹底的に議論し、最終的に、互いの意見の良き部分、悪しき部分を区別し、互いが納得したうえで、妥協点を見つけ出すことが重要だと俺は思う。


ただし、これはあくまでも日本人同士の場合に限る。相手が台湾人の場合は、これは通用しない。妥協=負け=面子がない となるから。

だから、台湾人との交渉は常に本音をぶつけるだけぶつける事が大切。弱みは絶対に見せない。一歩も引き下がらない。前へ前へ攻めていくしかない。

そして、どうしてもダメな時は、潔く、終止符を打つ。追いかけない。


群れたがる日本人と群れを嫌う台湾人。だから、台湾人は強い。前に進むことしか考えていないから。


日本人は生真面目な民族。だから些細な事でも色々と気にし、相手の顔色、出方を見て、何とか無難に事を進めようとする。しかし、台湾人は「不要想太多(考えすぎない)」と言う。すなわち、話し合いをする場合、「相手の顔色や立場等々余計な事は考えず、自分の考えを貫けばいい。ダメなら即撤退。簡単な事だ」という考え。

だから台湾人はある事柄を決定したら、まだきちんとしたプランやスケジュールなど決まってなくてもスタートする。また、やる限りは中途半端な規模ではやらない。徹底的にお金をかける。これも面子だ。そして、短期間で結果がでなければ、即、撤退する。

この時も、絶対に自分の負けを認めない。何らかの理由を見つけ出し、その責任にする。

俺個人としては、この「不要想太多」という考え方は好きだ。

考え過ぎても何も始まらない。やってみなければ判らない事も多い。

しかし、自分の負けを人に転嫁するのは嫌だね。これは俺のポリシーに反する。


負けは負けで潔く認める日本人と絶対に負けを認めない台湾人。ここにも大きな違いがある。


俺はどちらが正しいのか、未だに答えは見つからない。共に、良い点も、悪い点もある。

折衷した考え方が出来れば最高だろうが、これもまた、難しい。


俺は日本人。日本を誇りに思っている。故に、日本人と接する時は日本流に、台湾人と接する時は台湾流にしているが、時々「どっちが本当の俺?」と思う事もある。

まあ、どっちも本当の今の俺なんだろう。


人生、成るように成るために、普段からの精進が大切なんだろうなあ。

まだまだ修行中の俺がそこにいた。




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