俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

花蓮観光=太魯閣(タロコ)渓谷だけと思っているあなた、それは大きな間違いですよ!!

日本の台湾旅行ガイドブックで花蓮を観ると、「太魯閣(タロコ)渓谷」しか載っていないものが多い。しかし、花蓮にはもっと他に素晴らしい場所が沢山ある。

今日はその事について書こう。


まず、今の太魯閣渓谷についてだが、命が惜しければ行かない事。理由は、もうここ数年も前から渓谷内での落石事故が多発している。特に、昨年5月に台風が上陸、その後、2日続けて震度5の地震があった。そのために、渓谷内の落石に拍車がかかり、また、落石の規模も大きくなってきた。落石といっても、石ころがコロコロという様な可愛いものじゃない。大型バスの2倍ほどの岩が落ちてくる。車に直撃すれば、まず助かる見込みはない。昨年だけで落石事故で20名近い人が死傷している。その中の一人は、俺のガイド仲間だった。落ちてきた岩が道路で破裂(大理石が落ちてくるので、道路にぶつかると爆弾の様に破裂する)。その内の一つ、大きさは直径約2mほどの岩の破片が彼にぶつかり、岩もろとも400m谷底まで落とされた。即死だったそうだ。

また、破裂した岩で、小さいのは、鋭利な刃物の様に割れる。その小さな破片が首や顔に刺さって死傷する。

車に直撃すると無残だ。車は原型を留めていない。スクラップ状態になる。

落石が発生する度に、応急的な工事は行うが、その間に、また、違う場所が崩れる。イタチゴッコだ。

太魯閣国家公園管理部の友人からも「太魯閣渓谷には近づくな」と言われている。

だから、日本から太魯閣渓谷観光のご依頼が入っても、昨年5月からはすべてお断りしている。お客様の命が一番大切だから。折角の楽しい旅が、一瞬にして悲しい旅になるのを防ぐため。


しかし、日本の旅行社は未だに太魯閣渓谷観光ツアーを実施している。

その理由は、やはり、太魯閣渓谷観光は集客しやすく、ドル箱観光地の一つだから。

さらに、現地委託先の旅行社も、太魯閣渓谷観光の場合は、色々とバックマージンが入るから。レストラン、お土産屋からのマージンは、ガイドにとっては大切な収入源の一つとなる。通常、販売価格の30%がガイドのマージンとなる。大きいよ、30%は。

俺もこの仕事を始めたころはガイド仲間から教えてもらった、マージンの入るお店にお客様をお連れしていた。しかし、時間が経過し、俺自身も色々と勉強した結果、マージンの出るお店って、全てにおいて質が悪いことを知った。

それからは、まずは、質の良いお店を探した。質の良いお店は、ガイドに対してマージンは出ない。しかし、品質は保証出来るものを販売している。

今では、そういったお店にしか行かないようにした。その方がお客様も俺も、互いにハッピーだと思ったから。ガイド仲間には、「どうして?」とよく言われるが、これも俺の生き方、ポリシーだから。


話は戻って、危険を承知でどうしても太魯閣渓谷へ行くんだ!!という方に一言アドバイス。まず、夏場はいかない方がいい。渓谷というと夏でも涼しいという印象があるだろうが、太魯閣渓谷の場合、川は道路よりはるか下にある。さらに、花蓮の夏の日差しは半端じゃない。肌がジリジリと焼けるのがわかるぐらいに強い。

その強い陽射しが舗装された道路に照り返され、体感温度はより一層高くなる。

過去、夏場に太魯閣渓谷をご案内したほとんどのお客様が、この暑さに負けてしまった。

中には「どこか日陰はありませんか」と無茶を言う方もいた。


太魯閣渓谷に行けないのあれば、花蓮に行っても仕方ないと思われる方、それは大きな間違い。


まずは、東海岸線。ここから眺める太平洋の美しさは、一度見たら一生忘れることは出来ない。「海ってこんなに綺麗なものだったんだ」と感動するでしょう。


さらには、日本統治時代の日本人移民村を巡るというのもいい。歴史に興味ないという方でも、ご案内が終わるころには「台湾に、花蓮に、こんなにも沢山の日本の歴史があったなんて知りませんでした。案内しもらってよかった」と感嘆の声を頂ける。俺は自信をもってこの花蓮歴史街道をお客様にお薦めしている。

ただ、この歴史街道、東海岸は、その場所、場所で、解説がないと感動は半減してしまうと思う。地区100年以上の古い日本式家屋にも、色々な秘話が隠されている。その秘話を聞いて観るのと、聞かずに観るのとでは、感動も大きく違ってくる。


俺も今まで数多くのお客様をご案内して来たが、「太魯閣渓谷以外にこんなにも色々と見るべきところがあり、知っておくべき事があると知らなかった」と、皆さんから嬉しいお言葉を頂いている。


花蓮観光のガイドブック、これは早急に作る必要がある。以前に俺は、電子書籍で花蓮観光ガイドブックを出版した。今は、そこに更に新しい情報を加えて、改訂版として執筆中だ。今度は、電子書籍ではなく、小冊子にするつもり。

内容は、観光ガイドに加え、東台湾開拓の父であり、台湾近代化に貢献した人物、賀田金三郎の一生、さらに、日本統治時代に自分は日本人であると信じて生きてきた台湾人の方、自分の生まれ育った場所は、日本国の一部だと信じて生きてきた日本人の方に直接お会いし、インタビューを行った内容。この3つの内容を小冊子にし、2か月に一回ほどのペースで印刷、出版する予定だ。


俺達シニア世代は戦争は知らない。しかし、身近に戦争を経験した人達が今はまだいる。

だからこそ、今のうちに、独りでも多くの人達の声を拾い上げ、まとめていかなければ、何時の日か、誰も知らない世界になってしまう。


日本では台湾統治時代の台湾の歴史についてはほとんど語られないし、学校でも教えない。だから、若い人の中には「昔、台湾は日本が統治していた」という事すら知らない人がいる。


俺達シニア世代がやらねばなること、それは、俺達の先人達の生きた証を未来に伝承することではないだろうか。俺はそう思っている。

だから、今、台湾で初めての日本人移民村が出来た花蓮に居る。しかも、昔、日本人移民村だった場所に住んでいる。


太魯閣渓谷以外の観光地については、今後、少しづつ紹介はしていく。ついでに、俺の営業活動もさせてもらおうっと!!(笑)


さて、本日は、日本からお越しになったご夫婦を花蓮歴史街道へご案内。

まだ、運転できる状態ではないので、運転は、ガイド仲間に頼み、俺は助手席で解説をする。

そうそう、早速、営業ですが、「当社では、お客様一組に対し、お車一台をご用意」というスタイルを取っています。故に、他のお客様との混載観光は一切ありません。

だって、旅行に来てまで、知らない人に遠慮するのって嫌でしょう。俺は絶対に嫌。

だから、例えお二人様でも、車はワーゲンの9人乗りのワゴン車を使用。

ゆったり、のんびり、花蓮の旅を楽しんで欲しいですから。



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