俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

「常識」って本当にそれが「常識」なの?誰が決めたの?

日本の会社で働いている時、よく耳にした言葉が、「前例がない」「それが常識だ」という言葉だった。

前例がないから新しいことにチャレンジしないのか。常識だから、それを厳守しなければならないのか。俺はいつも疑問に思っていた。

会社組織が大きくなればなるほど、この2つの言葉が背後霊の様について回る。


俺は、前例がないからこそ、チャンスだと思う。常識なんて、人間が勝手にそう思い込んでいる幻想。前例がなく、常識はずれだからこそ、世間がアッと驚くようなことが出来るんじゃないかと俺は信じている。


しかし、前例がなく、常識はずれな事をする場合、失敗は絶対に許されない。それなりの覚悟も必要になる。

俺達シニア世代になると、今まで積み重ねてきたものを棒に振るかもしれない様な冒険は避けたがる。可能な限り、穏便に、波風立てず、無事に定年までを過ごしたいと思ってしまう。その姿が、若い人達にとってはいら立つ。


俺が40歳で会社を辞めた時、友達に「お前これからの事をどう考えている。40歳からの再就職なんてそう簡単に見つからないぞ。」と言われた。

確かに、当時は40歳からの再就職先なんて皆無に等しい状態だった。

俺は友達に対し「再就職先がないのなら、自分で何かやるしかないよな」と言い返した。


そして俺はすぐに会社を作った。資金は当時の国民金融公庫から起業資金を借り入れ、資本金400万円の会社を作った。主な業務内容は、ハウスクリーニング業。


まず最初に俺がやったのは、制服を決める事だった。正社員、アルバイトに対しても全員が同じ制服でお客様を訪問する。

その制服が当時のハウスクリーニング業界では常識はずれのものだった。

全員、白色のカッターシャツに、ネクタイ着用。女性スタッフは蝶ネクタイ着用。靴は革靴というものだった。

到底、お掃除をするような格好ではない。しかし、あえて俺はそうした。

その理由は、「お掃除に行くのだから汚れる。だから、作業着で行く。」という業界の常識が俺には納得できなかったからだ。


例えば、一般のご家庭にお邪魔して、お掃除をさせてもらう際、お客様もどんな人が来るのか不安があると思う。そこへ、洗濯はしていると言っても、ところどころ油汚れが染みついた様な作業着を着た人が来るのと、白いカッターシャツにネクタイをした人が来るのと、どちらが安心感を与えるだろうか。

重要なのは第一印象。綺麗にする会社の人間なんだから、綺麗な、清潔感のあるスタイルで行く。白色のカッターシャツなら、万が一、汚れてシミになると誤魔化しが効かない。常に、白色を守るためには、汚れたら新しいものと交換が必要になる。

一見、無駄に見えるかもしれないが、俺はその無駄が信用につながると考えた。


冬場は、全員がそろいのジャンパーを羽織る。ジャンパーには社名を刺繍した。

色は、会社のイメージカラーの明るい緑色。

車もイメージカラーの緑色と清潔感を表す白色のツートンカラーにした。


次に行ったのが使用する洗剤。業界では油汚れ専用の化学洗剤、窓ガラス専用の化学洗剤、お風呂専用の化学洗剤・・・・と、プロ仕様の強力な化学洗剤は沢山あった。

しかし、化学洗剤は決して身体に良いものではない。環境にも良くない。

営業活動をしている時、あるお客様が「昨年は○○○○にお掃除をお願いしたのだけど、お掃除が終わってからもしばらくの間、洗剤の匂いが残り、咳が出た」とおっしゃったことがあった。その時に俺は決めた。化学薬品を一切使用しないお掃除会社を作ると。


天然成分のみで作った洗剤を必死に探した。ネットで調べたり、大学の研究室を訪問したりもした。その結果、数種類の天然成分のみの洗剤を見つけ出し、それを自社で実験し、本当汚れが落ちるのかどうかを連日、様々な方法を用いて研究した。と、同時に、本当にその洗剤は人間や動物、環境に対し、悪い影響を与えないかを大学の研究室にお願いして分析してもらった。

そして、最終的にすべての条件をクリアした洗剤のみを使って、完璧なお掃除が出来る様に仕上げた。道具も吟味したなあ。全くお掃除とは関係のない道具を、お掃除用に細工したりもした。


制服も常識はずれで、前例なし。洗剤も業界からすれば、常識はずれの前例なし。

最初の頃は業界の人達からもバカにされた。しかし、開業して2年目には、地域ではトップの顧客数を誇る会社になっていた。

一般家庭の定期清掃。お店や店舗、病院、介護施設等々の定期清掃。夏場はエアコンクリーニング、年末は、年末大掃除もやった。

価格も今までの業界の常識価格を完全にぶっ壊し、独自の見積もり算出法でやった。

価格破壊をする気はなかった。値下げ戦争が始まると、必ず、業界全体が最後には共倒れになってしまう。しかし、適正を超えた金額は俺が嫌だった。だから、独自の方法で価格を出すようにした。


顧客数は毎年右肩上がりだった。その分、睡眠時間がどんどん減って行った。と、言うのも、お店やスーパーなどのお掃除は、営業時間終了後に入る。年中無休のお店やスーパーなどは特にそうだ。閉店と同時にお掃除を開始し、終わるのが朝の5時頃。家に帰って風呂に入り、2時間ほどの仮眠をとって、すぐに一般家庭や平日休業のお店、病院のお掃除に走り回った。40代は本当によく働いた。


常識ってものは、それが常識だと誰かが言うと、常識になってしまう。そして、気が付けば、周りが全員、その常識に従うようになってしまう。

誰も疑問を持たない。「常識なんだから」と自分自身を納得させている。

その常識の世界に、真逆の行動を取る=世間では非常識と言われていることをすると、一斉に攻撃される。バカにされる。


その攻撃に、真っ向から抵抗していかなければ、新しい世界など切り開くことは出来ない。バカにされても、バカの底力を見せつけてやらねばならぬ。

これって本当に勇気がいるし、忍耐も必要になる。

でも、自分自身を信じてやれば、心の底から信じてやれば、必ず、新しい世界を切り開くことが出来る。


俺はよくこのブログで書いているが、世間の目なんて気にする必要はない。世間が助けてくれるか?本当に困った時に、世間は救いの手を差し伸べてくれるか?

そりゃ、言葉はかけてくれるだろう。しかし、そこ止まり。結局最後は、自分を信じて、自分の力で乗り越えていくしかないんだよ。


俺は俺らしい生き方を選び、今、こうやって台湾の田舎、花蓮に住んでいる。


世間の常識とか、前例なんて、まったく無視すればいい。言いたい奴には言わせておけばいい。自分が毎日、納得のいく努力をしていればそれでいい。


俺達シニア世代になると、明日が必ず来るとは限らない。今日が最後の一日になるかもしれない。だったら、その最後の一日を後悔のない一日にしたいと思わないか。

その最後の一日に最高の思い出を作りたいと思わないか。


俺は寝る前に必ず妻に「今日は楽しかったか」と聞くようにしている。そして、寝る際には、必ず「愛しているよ」と言う。もしかすると、それが最後の言葉になるかもしれないから。当然、そんな不吉な事を考える必要はないと言われるかもしれないけど、実際の話、俺達の年代で病気や事故で急死した奴も大勢いる。

前にも書いたが、絶対は存在しない。


何歳になっても、冒険心だけは持ち続けたい。人生そのものが冒険なんだから。

俺の人生の冒険は、俺しか味わう事が出来ない。だったら、その冒険を楽しみたい。


こういった考え方をしているから、日本の会社組織にも馴染めず、結局は一匹オオカミでいるんだろうなあ。俺はサラリーマン失格者だから。


子供に対しても、一方的に大人の常識を押し付けるような事はして欲しくない。

大人はすぐに、自分たちの常識の枠に子供をはめようとする。その結果、子供から新しい芽を摘み取ってしまう。自分たちの常識にはめこまず、まずは、子供の気持ちを聞き出すことに親はもっと真剣に取り組む必要があると思うよ。


夫婦でも同じ。同じような価値感を持ったもの同士だから結婚したのだろうけど、100%同じ価値感なはずがない。違っていて当たり前。育った環境も、場所も違う者同士が夫婦になるんだから。夫の常識は妻にとっては非常識なのかもしれない。妻の常識は夫にとって非常識なのかもしれない。だから、自分の常識で相手を縛らず、常に会話をし、そして、夫婦として新しい道を切り開いていくようにしなければダメだと思う。


ちなみに、「常識」で思い出したが、日本の礼儀作法は素晴らしいが、それが世界の常識だと思わないで欲しい。

簡単な例を挙げると、日本人は汁物を食する際、お椀やどんぶりを手で持って箸を使いながら食する。しかし、これは台湾では非常識な行動となる。お椀やどんぶりを持ち上げる事は台湾の礼儀作法に反する。汁物は原則、レンゲを使って食べる。ラーメンもうどんも味噌汁も、すべて、レンゲで飲む。

日本人は麺類を食べるとき、音を出すよな。これはよほどでない限りは常識とされている。しかし、台湾では非常識。麺類は一旦、レンゲにのせ、そして口に運ぶのが台湾の礼儀作法。


お国が違えば常識も違う。






×

非ログインユーザーとして返信する