俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

家庭も職場も、常に笑顔の絶えない環境を作るためには

今まで、俺の嫌いなタイプの人間について色々と述べてきた。

まあ、社会に出れば、嫌いな人間とも付き合っていかなければならない事もあるよな。

俺だって、一応は物事の分別はつけられる大人だから、嫌な相手でも笑顔でお付き合いはする。しかし、恐らく、顔は笑っているが、目は笑っていないと思うけどね(笑)

また、極力、嫌いな人間と付き合わなくても良いように、そういった類の人間には近づかない、近づけない様にしている。


人生なんて一度しかない。長くて80年少し。もしかすると、もっと短いかも知れない。これは神のみぞ知ること。だから、貴重な俺の時間を、嫌な奴と過ごすなんてことはしたくない。


このブログで何度か述べたが、俺はサラリーマン失格の人間。だから、同じ会社に何十年も勤めている人を俺は尊敬する。サラリーマンは、一日の貴重な時間をほとんど会社のために捧げ、辛抱の連続の日々を送っている。

家庭内で見せる顔と、会社内で見せる顔は、皆、違うと思う。

緊張の連続。ミスは許されない。正に、戦場だよな。故に、家に帰ってくると、一気に疲れが出るし、緊張の糸も切れる。そうでなければ、身が持たない。


休みの日はゆっくりとしただろう。それは良く分かる。しかし、休みの日が普段出来ない家族とのコミュニケーションの時間だ。この時間もまた、貴重な時間だよな。


一週間、朝から満員電車に揺られ、大渋滞の道路を運転し会社へと向かう。会社では緊張の連続。退社時間になると、またもや満員電車に揺られ、大渋滞の道を運転し、家へと戻る。そりゃ、こんな生活をしていたら、せめて休みの日ぐらいはゆっくりしたいという気持ちは良く分かる。


ここが難しいところだよな。会社での仕事も手を抜くことが出来ない。故に、休みの日は、心身ともに疲れ切っている。しかし、休みの日に家族とのコミュニケーションの時間も必要。一体どうすればいいんだ!!ってところだよな。


こういった場合、パートナーの協力と理解は必要不可欠だ。

例えば、夫が働いていて、妻が専業主婦だとしよう。この場合、やはり妻の夫への理解と協力、そして、思いやりが必要だ。しかし、妻に理解、協力、思いやりを求める以上、夫も妻に対し、感謝と労いの言葉は必要だ。

以前、俺の友が「女房はいいよなあ。仕事もせず、一日中好きな事やって。専業主婦って本当に楽でいいよな」なんて馬鹿な事を言った。俺はそいつに対し「お前、バカじゃないか。専業主婦が楽?とんでもない誤解をしているな。もしも本当に楽だと思うなら、一度、専業主婦をやってみな。一日でギブアップするぜ」ってね。


夫婦の間で大切な事は思いやりだ。「思い」と「思いやり」は全く違うものだ。

「思い」は単に自分が勝手に思い込んでいる事。相手にはそれは伝わりにくい。

「思いやり」は、自分を犠牲にしてでも(自分の事は後にしての意味)、相手を労り、相手に尽くすという事。

日本人、特に、日本人男性は「思い」があっても、「思いやり」に欠けている人が多いように俺は感じるね。


それと、毎日とは言わない。せめて一週間に一回、家族で食卓を囲んで欲しい。特に、子供がまだ学校に通っている年齢ならば、その時は、アルコールは抜きで、素面(しらふ)の状態で、食事をして欲しい。

さらに、妻が料理を作ってくれたのならば、子供の前で「今日の料理、美味いなあ。ありがとうね」と言葉にして言って欲しい。そうすれば、子供達もその姿を見て、毎日、当たり前のようにして食べていた料理に対し、「お母さんが僕たちのために、愛情込めて作ってくれているんだ」と思うようになる。


「いただきます」「ごちそうさま」この言葉、中国語にはない言葉。他国の言語でもないんじゃないかなあ。それに近い意味はあっても、それは無理やりそう解釈しているだけの事ではないかなあ。

「美味しかったよ。ありがとう」の言葉を添えるだけで、調理した人がどれだけ嬉しいか。


皆が「思いやり」の心を持てば、家庭も、職場も、円満にいくし、常に笑顔の絶えない、環境になると俺は信じている。




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