俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

俺は興味がない、会社名と肩書には。

日本では参議院選挙も終わり、次の注目は東京都知事選挙だな。

日本人はどうして議員の事を「先生」と呼ぶんだろう。俺はずっとその事が不思議でならなかった。前にもこのブログで書いたが、俺は政治家の事を絶対に「先生」とは呼ばない。俺の中の「先生」とは、教育者または弁護士、弁理士、司法書士、行政書士の事だと思っているから。

だってさ、こんな言い方すると失礼かも知れないが、芸人やタレントから議員になった人はいるけど、議員から漫才師になって人はいないよな。ってことは、議員が「先生」だったら、漫才師は「大先生」ってなるの?おかしいだろう。


日本人は肩書ってのに弱いよなあ。大会社の部長や取締役なんて肩書があるだけで、その人が特別な人間の様に感じる。その人を名刺を持っているだけで「俺はこんな大物と知り合いなんだぞ!」って自慢する人もいる。

確かに、大会社の重役までいった人だから、仕事は出来るんだろう。しかし、同じ人間。肩書を取れば、ただのオジサンだよな。定年迎えて、第一線から退けば、ただのオジサン。

政治家も同じ。当選すれば皆から「先生」と呼ばれ、偉そうにしている。でも、落選すれば、ただのオジサン、オバサンだ。


俺は昔から名刺を2種類持つようにしている。一つは、肩書が入った名刺。もう一枚は、肩書がない名刺。先に無くなるのが肩書がない名刺の方だ。

俺は肩書には一切こだわらない人間。だから、相手がどれだけ大物家と言われている人でも、同じ人間同士として向き合う。相手が平社員であろうと、重役であろうと、同じ態度で接する。その方が楽だからね。


話は少し変わるけど、台湾に進出している日系企業の日本人駐在員の中には、面倒な仕事はすべて現地スタッフに丸投げという人がたまにいる。

実は先日、ある日系企業の対応があまりにも酷かったので、妻がその会社へ電話した。

すると、最初に対応に出たのが、日本語の出来る台湾人の女性だった。

妻は、「日本人スタッフの方とお話がしたい」と申し出た。台湾人女性スタッフが「しばらくお待ちください」と返答。しばらく待っていると、最初に電話に出た、女性台湾人スタッフが「今、日本人スタッフは席をはずしております」という返事。妻は「では、戻られたらこちらにお電話ください」とこちらの電話番号を残した。しかし、その日一日待ったが、電話はない。翌日、もう一度妻が電話すると、今度は「夕方6時にお電話差し上げます」と台湾人スタッフが返答。しかし、6時過ぎに電話が入ったが、相手は、現地スタッフの人。結局、最後まで日本人スタッフからは電話がなかった。

この会社、日本でも有名な大手企業。しかし、日本人の妻が電話しても、日本人駐在員からは、一切の連絡がなかった。

面倒な事、嫌な事はすべて現地スタッフ。駐在員は、自分の任期満了まで、可能な限り、波風立てず、無事に任期満了を迎える事ばかりを考えている。信じられない話だ。

もちろん、すべての駐在員の方がそうだとは言っていないので、誤解の無い様に。


話を戻して、人間ってどうしてそんなに肩書にこだわるのだろう。

出世すれば給与も多くなるし、ボーナスも増える。エリートとして皆から尊敬される。でも、心から尊敬してもらっているかどうかは微妙なところだけど。

俺がサラリーマンをやっていた時、人事異動の時期になると、「次は○○さんが部長に昇格するだろうなあ」とか「○○さんは左遷だな」とか、そんな話で盛り上がっていた。

俺も「そろそろ次は営業部長じゃないですか」と言われた事があった。上司から打診も受けた。しかし俺は断った。営業部長になれば、役職手当も増える。周りからも「部長」なんて肩書で呼ばれる。でも、俺は一切、興味がなかった。

俺はお客様に一番近い場所、現場が好きだったし、学ぶことも多かったからな。

だから、頑なに、役職付きは断った。


会社名と肩書、それがその人を判断する材料になるなんて、俺はチャンチャラおかしいな話だと思っている。

大事な事は、会社名でもなければ、肩書でもない。確かにその人はその会社では部長かもしれない。しかし、あくまでもそれは、その会社内での話。その人がある日突然、別の会社に行って、同じように部長になれるかどうかはわからない。

だから、肩書や会社名でその人を判断すると、相手の事を正しく見極めることが出来なくなる。ビジネスも結局最後は、人対人なんだから。


俺は常に、「人生を楽しく過ごしたい」と考えている。人生が楽しければ、仕事もスムーズに運ぶし、家庭内も円満なはずだ。

日本人って笑顔が少ないよな。電車に乗ってもみんな疲れた顔しているし、「何か悩みごとでもあるの?」と聞きたくなるような険しい顔した人が多いよな。

もっと笑って過ごせないものかねえ。

こういった考え方を「逃げているだけの敗北者だ」という人もいるだろうな。

でも、俺は逃げていないと断言出来る。俺は俺が望む生き方を貫き通している。

逃げていたら、今の様な楽しい人生は手に入れることが出来なかっただろう。

将来、第一線から退いても、今のまんまで俺は生きていける。しかし、会社名と肩書だけを誇りに生きてきた人は、定年を迎え、会社名も肩書もなくなった段階で、今のまんまで生きていけるかと言えば、無理だろう。だって、自分にとって唯一の誇りだった、会社名と肩書が無くなるんだから。ただのオジサン、オバサンになってしまうんだから。


俺はサラリーマンもやったし、社長業もやった。故に、どちらの苦しさ、悲しさ、悔しさを知っている。肩書があるばっかりに、会社名があるばっかりに、自分のやりたい事も我慢し、やりたくないお付き合いもし、それはそれで大変だと思うよ。


でもさ、人生って一回限りなんだよな。特に、俺達の様に、シニア世代になってくる、今まで頼りの綱だった、会社名、肩書とも後数年でサヨナラしないといけない訳だ。

そうなった時、次の人生はどうやって生きていく。


サラリーマンであっても常に頭の中、心の中で、「自分株式会社」を持っておいた方が良いぜ。「自分株式会社」って何かって。それはまたの機会に書くよ。

さらに、夢は持ちづけたほうがいいぜ。

例えばさ、「定年を迎えたら、妻と一緒にバイクで日本一周する」という夢を持ったとしよう。その夢は定年前から、そう今日からでもいいから、ちゃんと妻に話をする必要がある。そうすれば、妻と一緒に色々な計画を立てる事が出来る。妻と一緒に夢を見る事が出来る。これほど幸せな事ってないぜ。


会社内での出世が人生の目標だとお考えの方には、俺の考え方には猛反対だろうなあ。

でもそれはそれでいいんじゃない。だって、人間なんて皆、価値観が違うわけだし、何が幸せかなんて、皆、それぞれに違うんだから。

出世にすべてを懸けている人は、燃え尽きるまで、その目標に向かって走り続ければいいと思うよ。それはそれで素晴らしい事だから。

俺は俺の生き方を今後も貫き通すだけ。俺の生き方を誰かに押し付ける気もないしね。


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