俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

プライドなんてくだらんもの捨てようぜ。でも、自分自身の誇りは捨てるなよ!

皆さんは誇りを持って生きていますか?

よく、誇りとプライドを一緒にして考える人がいるが、俺は違うものだと考えている。

辞書で「Pride」の意味をみると、「誇り」「自尊心」「自負心」と出にてくる。

俺はプライド=自尊心、自負心だと解釈している。「誇り」と訳するのには疑問を感じる。


「プライドの高い人」って言うよね。「プライドを傷つけられた」とも言うよね。

俺の人生の中では、プライドという下らんものは要らないという考えだ。

プライドって結局は自分が勝手に思い込んでいるだけのもので、実際は、さほど大した人ことのない人間でも、プライドは自由に持てる。

しかし、「誇り」は違う。「ある事柄において、自信が持てる」と言う時に使うものだと思っている。

言語学者の人に言わせると、「お前の解釈は間違っている」とお叱りを受けるかもしれないが、あくまでも俺自身の解釈なので、お許し願いたい。


56年間生きて来て、プライドだけ高い人は何人も見てきた。しかし、自分のやっている事に誇りをもっている人は少なかった。


台湾人はプライドは高い。故に、そのプライドを傷つけれると、恐ろしいほど怒り、反撃してくる。

しかし、「自分自身の誇りって何ですか」と尋ねると、ほとんどの人がまともな答えを返せない。これは日本でも同じなのかもしれない。


人から見たら、くだらない事でも、本人がその事を「誇り」と思い、自信を持って生きている姿はまぶしい。

誇りは、人の何十倍、何百倍も努力し、「この分野では誰にも負けない」と自信を持って言える事が大切だと思う。


経営者であろうと、従業員であろうと、学生であろうと、その地位や年齢に関係なく、「自分を誇れるもの」を持つことが大切ではないだろうか。


誇りを持って生きていくためには、その事柄について精通しており、どのような質問を投げかけられても、即答できるだけの能力が必要だ。これは簡単なようで難しい。

日々の積み重ね、色々な事に興味を持ち、完璧な回答が出せないとダメだ。


俺は今、花蓮において、日本統治時代の日本人移民村について、さらには、その移民村を台湾で初めて作った人物について研究をしている。

ガイド仲間からは、「その時代の花蓮のことについてはお前が一番良く知っている」とお褒めの言葉を頂くことがあるが、俺自身はまだそのことについて「誇り」は持てない。

まだまだ研究を続けていかなければならないと感じている。

日本統治時代に生きて来られた高齢者の方々とお会いする度に、新たな発見がある。


ただ一つ、俺が今誇れることは、「花蓮を心から愛している」という事。

これだけは自信を持って言える。


俺の友人はサラリーマンをやっている。大学を卒業して、俺は研究室へと進み、彼はサラリーマンの世界へと飛び込んだ。営業センスもあり、数年で営業成績No1を手に入れた奴だ。彼のおかげで会社の業績も右肩上がり。しかし、リーマンショックの影響で、会社は業績不振に陥った。その頃は、奴は、取締役本部長という肩書を持っていた。

会社としては、業績不振の責任を取らなければならなかった。

俗にいう、トカゲのしっぽ切りってやつだ。その結果、彼は海外へ飛ばされた。名目は支店長であったが、赴任先は発展途上国。どうやら会社内では「島流し」「脱落者の地」と言われているところだったらしい。


彼から俺にメールが届いた。その内容を要約すると、「今まで会社のために必死に頑張って来た。業績が右肩上がりの時は、経営陣もチヤホヤしてくれた。しかし、今回、会社の業績が不振になると、俺だけが責任を取らされ、島流しだ。もう会社を辞めたい」という

内容だった。

俺は彼に対し「本気で会社を辞めたいのなら、辞めればいい。その後の生活の心配はあるだろうが、その事にこだわり過ぎていると、いいアイデアも浮かばない。辞めてから考えても遅くはない。但し、一時の感情で、辞めたいと思っているなら、お前はバカだ。

会社内で「島流し」「脱落者の地」と呼ばれている場所であっても、お前自身が本気で見返してやろうという気持ちがあるなら、その地へ行き、汚名を返上させるぐらいの気力が必要じゃないか。今は島流しの地であっても、お前が赴任し、その国について、誰にも負けないほどの知識と知恵、情報源を手に入れれば、それはお前の誇りになる。

その誇りを持って、島流しの地から、出世への地に代えればいい。ただし、道は険しい。いばらの道かも知れない。その覚悟があるなら、誇りを持ってその人事を受けろ」と返事した。


最終的に彼は「いばらの道」を選んだ。

その地に赴任して3年。彼は今までの前任者が全く手を付けていなかった分野にまでチャレンジし、その国の要人からも高い信頼を勝ち取った。さらに、その国だけでなく、近隣諸国とのパイプも作りあげた。

赴任して5年目、彼に、日本への帰国の辞令が下りた。しかも取締役統括営業本部長というポストでだ。

しかし彼はそれを断り、会社に辞表を出した。


その後、彼から届いたメールに「俺の選択が正しかったのか、間違っていたのかは判らない。ただ、俺には、この地と近隣諸国について会社内で一番精通している人間であるという誇りを持っている。今さら、どんなに良いポストを用意されても、この地から離れたら、俺の誇りもこの地に置いていかなければならなくなる。

俺の誇りは会社のためにあるんじゃない。俺自身のためにある。その事を教えてくれたのはお前だぞ。俺は、この地で自分の会社を作り、今後進出してくる日系企業に対し、アドバイスをしていく仕事をする。「誇りをもって会社の人事を受け入れろ」と俺の背中を押してくれたお前には心から感謝している」という内容だった。

俺は「俺に感謝などする必要はない。いばらの道を選択したのも、島流しの地を、出世街道を進むために必ず経験しなければならない海外の重要な地にしたのも、全てお前だ。

お前が誇りを持って選び、努力した結果だ」と返事した。


彼は今でもその地で頑張っている。近隣諸国にも支店を開設し、様々な業界の日系企業からの相談を請け負っている。


赴任中の5年間は子供さんの学校問題もあり、単身赴任していた。

彼が帰国せず、会社を辞めると決心した際、事前に奥さんには相談していた。

彼が会社に辞表を提出する数日前に、彼の奥さんから俺にメールが届いた。「主人が会社からの辞令を断り、独立する事を考えているようだがどう思われますか?海外で独立して本当に成功するのでしょうか」という内容だった。

俺は「海外で外国人が独立し、起業することは、並大抵のことではない。今までの様に、会社名という後ろ盾を失い、その上で、彼がどこまで出来るのか、その国の事を知らない俺には判らない。成功するかもしれないし、失敗するかもしれない。しかし、彼は今、自分自身に誇りを持って決断しようとしている。5年間、家族と離れ、たった一人の日本人駐在員で頑張ってきた彼の心は、我々が想像する以上にボロボロになっているかも知れない。しかし、それでも彼はその地に残る決意をした。

その彼の決意、決断を妻である貴女が信じられるなら、彼はきっと成功するでしょう。しかし、貴女自身が彼の決意、決断に少しでも不安を感じるなら、難しいかも知れない。

成功するもしないも、妻である貴女が、彼を信用、信頼できるか否かで決まる。」と返答した。


暫くして、彼女から連絡があり、「子供達も大きくなったし、私は彼の待つ地に行きます。彼を信じてどこまでもついていきます」と。

彼らから、「最高に幸せだ」と書いたカードをもらった時、本当に嬉しかった。


人それぞれに与えられた職務、職責、職位がある。俺の場合は、職位については興味がないので判らないが、職務、職責を果たすためには、まず、今の自分自身に「誇り」が持てるか否かだと思う。(そう考えると、職位も同じなのかもしれないな)


俺流の考え方で言うなら、「プライドなんて下らないものはさっさと捨てて、自分自身の「誇り」だけを持って生きて欲しい」と思う。


プライドでは食っていけないが、誇りがあれば、食っていける。経験者は語るだ。

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