丁寧に生きようぜ!
皆さんのご両親はご健在ですか?
俺の父親は、俺が30歳の時に旅立ち、母親は、俺が37歳の時に旅立った。
二人ともまだまだ人生これからという時に、ガンで亡くなった。
父親が亡くなったのが55歳。俺の今の年齢と同じ。それ故、俺にとっては、55歳という歳を迎える事にある種の不安があった。
今、俺は、メニエール病と突発性難聴を併発してしまい、右耳の耳鳴りと閉塞感、そして、目まいと闘っている。
発病した時と比べれば、目まいはかなり良くなったが、耳鳴りと閉塞感は一向に改善されない。
まあ、メニエール病や突発性難聴で命を奪われることはないが、何分、55歳という年齢故に、余計なことをついつい考えてします。
父親が亡くなった年齢になった時、俺は、今の自分と父親を改めて見比べてみた。
父親は俺の年齢の時、某大学の教授であり、学部長でもあった。さらに、色々な企業の顧問もやっており、国際会議にも何度も参加、世界中の学者の前で講演もやった。
俺にとっては超偉大な存在だった。
俺も大学を卒業した後、父親と同じ道を進もうと考えていた。父親もそれを望んでいた。
しかし、大学生になり、それまでは家での父親しか知らなかったが、大学教授としての父親の偉業を目の当たりにした時、「とてもじゃないが、俺にはこの人を超えることは無理だ」と悟った。
周りの人は、「頑張れば何時の日か、親父さんに追いつける。さらに頑張れば、親父さんを超える事ができる」と励ましてくれたが、俺は、父親が如何に努力していたかを知っていたので、「俺が父親と同じ努力をしても、父親には追い付けない。まして、超えるなど無理だ」と最初から戦わずして諦めていた。
結局俺は、大学院には進まず、大学の研究所に残り、研究員となった。
約2年間、研究所で働いていたが、「俺は俺の道を切り開いていかないとダメだ。」と常々思っていた。大学時代に専攻していた第二外国がフランス語だったの、一度はフランスの大学へ留学したいという気持ちがあった。
俺は人生の大先輩であり、最も尊敬する父親に、思い切ってフランス留学の話をした。
その時の父親の返事が、以前に書いたが、「これからはアジアの時代がくる。その時に武器になるのが、中国語だ。同じ留学をするなら、中国語を勉強しろ」というアドバイスをもらった。今から30数年前の話だ。まだ、今の様に、中国が経済発展もしていない時代に、父親は、既に、世界の構図がアジア中心となることを見越していた。
父親のアドバイス通り、俺は「謝謝」「您好」しか話すことが出来ない状態で台湾へ渡った。あれから30年が経ち、俺は結婚、離婚を経験し、そして、今の妻と出会って再婚もした。途中、母親の病気のために日本へ帰った時期もあったが、結局は今、こうやって台湾で生きている。
今は、日本統治時代の花蓮の歴史についての研究をしながら、民宿と観光案内をしている。
まだまだ父親には近づけてもいない。どこまで行っても、俺にとっては父親は偉大な存在。何時の日か、父親とあの世で会った時に「お前もお前なりによく頑張ったな」と言ってもらえるように、今を大切にしながら、研究に打ち込んでいこうと思っている。
さらに、最近になってとても意識するのが、俺が父親を最も尊敬する人物だと思っているように、息子や娘から俺はどのように映っているのだろうという事だ。
俺は父親とは全く違う世界で今を生きている。その生き様を子供達はずっと見ている。
「俺を尊敬しろ」と言って尊敬させるのではなく、彼らが心から俺を尊敬してくれるような存在でなければならない。
俺は俺の生き方を、考え方を、包み隠さず家族には見せるようにしている。
弱い部分も、強い部分も、全てを見せるようにしている。俺と言う人間をすべて見せる事で、子供達が何かを感じてくれればと思っている。
家族全員で台湾へ移住という、普通ではない生き方。色々な陰口を言う人もいる。
しかし、俺にはこの台湾で、この花蓮でやり遂げなければならないことがある。
それをやり遂げるまでは、人に何を言われようと、どんな妨害を受けようとも、俺はここで生き続ける。
俺の父親が学問の世界で、いばらの道を歩みながら、その分野では頂点まで登りつめたように、俺も、世界は違うが、成し遂げようと決意している。
俺と同年代のシニアオジサン達、俺達が子供達に残してやれる財産って、お金や不動産だけではないよな。俺達自身の生き様を残してやることが、子供達への最高の財産だと俺は思うぜ。いずれ俺達はこの世からいなくなる。その後、子供達が何を頼りに生きていくかと言えば、それは、俺達の生き様そのものを頼りに生きていくんだと思う。
親は生きていて当たり前。死ぬなんて有り得ないと俺は思っていた。おそらく皆もそうだと思う。しかし、ある日突然、居て当たり前だった親がいなくなる。
今まで何でも相談出来た親。そして、的確な答えを導いてくれた親。その人がいなくなる。
仏壇の前に座っをても、何も答えてくれない。そんな時が来るなんて思ってもいなかった。
親が亡くなった後、色々な問題にぶつかった時、「こんな時、父親だったらどのようなアドバイスをしてくれただろう。母親だったら、どのように俺を元気付けてくれただろう」と思う。その答えは、両親の生き様から見つけ出すことが出来る。
死んだら肉体はなくなる。しかし、その人が生きていた証、その人の人生は残る。
それこそが、子供達への最後のプレゼントになると俺は信じている。
俺達の年齢になると、明日が必ず来るとは限らない。だからこそ、今日を、今、この瞬間を、丁寧に生きていかないとな。
丁寧に生きてさえいれば、それは必ず子供達にも伝わる。そして、子供達は忘れない。
俺達が残してやれるのは、「丁寧に生きるための姿勢」なんだろうなあ。