2種類の我慢。十分に我慢してきた人に「我慢しろ」なんて言うなよな!
人間、何事においても「我慢の限界」ってあるよな。
俺は、俺自身の事を攻撃されても、徹底的に我慢はする。
しかし、その矛先が家族に及んだとき、俺の我慢の糸を音を立てて切れる。
家族をも巻き込んで攻撃してくる輩に対しては、俺は徹底的に戦う。もちろん、正攻法で。
まずは、相手の言動が法的に問題ないかを徹底的に調べる。弁護士にも相談する。この時、まず最初は、無料法律相談を使う。そこで、納得のいく回答が得られた場合は、その弁護士に正式に依頼する。納得のいかない場合には、別の無料法律相談へ行く。
いつもブログで書いているが、最近は、小学生よりも道徳心のない大人が増えている。SNSで人の悪口を書いて喜んでいる奴もそうだ。自分が正義の味方だと信じ込んでいる病的な奴だ。
「今の若者は積極性が無くなった」「海外転勤や地方転勤のある会社を敬遠するようになった」等々、今の若者に対してのシニア世代の声をよく聞く。しかし、これは若者が悪いのではない。すべて大人の責任だ。
若者の活動に色々と難癖をつける大人がいるが、その大人が、SNSで人の悪口を言って喜んでいる。最も恥ずるべき人間はそういた連中ではないか。
学校内でのイジメが問題になっているが、会社内でのイジメというのもある。大人の、しかも男のイジメと言うのが本当に卑劣で卑怯なやり方をする。ある意味、女性のイジメよりも陰湿でタチが悪い。
パワハラという言葉もあるようだが、簡単に言えば、大人のイジメだ。
今、俺は、住んでいる家の事で家主ともめている。先日の台風で排水管から水が逆流し、1階すべての部屋が浸水した。これは完全に設備の不備が原因。業者も、「本来なら設置しなければいけないタンクが設置されていない。これでは水が逆流するのは当たり前」と言った。業者から直接、家主に説明をし、タンクの設置を薦めてもらったが、家主はそれを拒否。応急処置的な方法で修理をするように言ったそうだ。
しかし、台風が去った今現在、修理は始まっていない。もしもこの間に豪雨がきたら、また、家は浸水するだろう。
おまけに家主は、前回、浸水した部屋のものをすべて出して、綺麗に掃除しろ。万が一、破損個所があったら、お前が弁償しろとまで言ってきた。ふざけんな!!
契約書にも設備の不良は家主が全額負担で修理することになっている。
そしていつも最後は「嫌なら契約解除する。すぐに出ていけ」と脅してくる。
今回の浸水で、パソコン本体と特注した畳が浸水した。こっちが、弁償してもらいたいぐらいだ。本当に頭にくる家主。
台湾人の友人は「きっとあなたが日本人(外国人)だから、言いたい放題言ってると思う。これが相手が台湾人だったら、そこまでは言えないだろう」と言った。
日本人をなめるなよ!!近々、弁護士事務所へ行って、本件解決のための相談をする。
そして、場合によっては、損害賠償を請求する。
日本人は我慢強い。しかし、我慢も時と場合によっては、マイナスとなることもある。
まずは、冷静になって話し合いをする。相手が感情的になっていても、こちらは冷静でいる事が大切だ。
常に一歩下がったところから物事を見るようにする。相手が感情的になればなるほど、相手は自分のボロを出してくる。これが作戦だ。相手は勝手に自分に不利な状態を作り上げてくれる。それをしっかりと証拠として残すことだ。
まあ、冷静に話をする事自体も我慢になるのかもしれないな。そう考えると我慢には二種類あるってことだよあ。
一つは、黙して語らず。なおかつ、何もせず。簡単に言うと、無視する。
もう一つは、冷静さを持ち続け、相手に言いたい事を言わせる。そして、最後の最後に、大きな一手を打って、相手を撃沈させる。
常にこの2つの我慢を上手に使い分けすると、意外と、物事はスムーズに進むのかもしれないな。
俺はいつも思っているんだが、一方が冷静に物事をみていると、相手側はそれが不気味であり、怖さにつながる。故に、相手は感情的になる。いわば、負け犬の遠吠えみたいなものだ。
腹が立つことが多い今の世の中。その中で、我慢して、冷静さを保つというのは簡単な事ではないだろう。一人で背負い込んだ場合、それはもう、地獄の日々となる。
だから、そういう場合は、妻に夫に打ちあけることが大切なんだよ。
そして、打ちあけられた方は、その話をしっかりと聞いてあげる事だ。こんな時は、アドバイスを求めているんではない。聞いて欲しいんだ。だから、聞いてあげる事に徹すればいい。そして、最後には「あなたの傍には、常に私がいるから」と伝えてあげる事だ。
家庭内では皆が素の自分でいたいのなら、正直に何でも話す。しっかりと相手も話を聞いてやる。そして、言葉など要らない。傍にいてあげるだけでいい。
そうそう、どんな内容であれ、相手に対して「我慢しろ」とは言わないで欲しい。
これは子供から相談を受けた時も同じだ。
本人は本人なりに、必死に我慢してきて、その我慢が限界に達したから相談している。
その人に対し「我慢しろ」と軽々しくいうものではない。
本人はもう十分に我慢してきたのだから。