俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

希薄な人間関係、外で遊ばなくなった子供の世界を作ったのは誰?

7月も気が付けば半分を過ぎていた。俺達の年齢になると、一日、一日の時間が本当に大切に思うよなあ。

残された時間は人それぞれに違うけど、少なくとも、今まで生きてきた年数と同じだけ生き続ける事の出来る人はいないだろう。


考えてみたら、俺達が子供の頃って、まだ今の様なスーパーというものもなく、食材は市場へいく事が当たり前だった。よく母親に手を引かれ近所の市場へ買い物にいった。


幼稚園の年長さんになると、家の近くのお豆腐屋へ一人でおつかいに行ったっけなあ。

豆腐と言っても、今の様にパックになんか入っていない。だから家からボウルをもって買いに行く。するとお店の人がそこに豆腐と水を入れてくれる。それを落とさないように気を付けて歩くのだけ、慎重になればなるほど緊張感が高まり、そして、つまずき、豆腐を落としてしまう。道路も今の様にまだ舗装もされていなかったので、豆腐が砂だらけになる。つまずいて、膝には擦り傷、豆腐はグチャグチャ。もう泣くしかない。

すると、必ず、大人達が声をかけてくれる。そして、気が付くと、さっき落としたはずのボウルと中身の豆腐が元の状態に戻っている。そう、声をかけてくれた大人が豆腐屋さんに行って、同じものを買って来てくれたのだ。


おつかいに行くと、お店の人も、見知らぬ大人も、「おっ、おつかいかあ。偉いなあ」と声をかけてくれたり、お店の人などは、飴玉を「これは一人でおつかいに来たご褒美だ」ってくれたよなあ。


そうそう、テレビにも思い出がある。白黒テレビからカラーテレビになった時代。

まず、新聞のテレビ欄に、カラー放送の場合は「カラー」って書いてあった。

毎週日曜日のお昼からだったと思うけど、「ディスニー」の番組をやっていて、その始まりが、白雪姫のお城に天使が飛んできて、魔法の棒で、ポンと押すと、お城に色がついていく。そして、花火があがる。あれを始めてカラー放送で見た時、大はしゃぎしたっけなあ。

テレビも観音扉が付いていて、見ない時はその扉を閉めておく。チャンネルもハンドル式だった。だから、リモコンになった時は驚いたねえ。リモコン操作するとき、前に人がいると、「リモコン使うから逃げてよ」って言ってた。リモコンから発射される目に見えない光線を浴びると、体に悪いって信じていたから。


俺が子供時代を過ごしたのは大阪の堺という町だったが、本当に、人情あふれる時代だった。堺には小学校一年生まで居た。その後は、奈良へ引っ越しをした。当時、ブームになっていた公団住宅への引っ越しだった。

部屋は最上階の5階。生まれて初めて見る5階からの景色。感動した。ベランダ(バルコニー)には鉄製の柵がしてあったが、最初の頃は怖くてその柵には近づけなかった。


その後は、大阪・富田林の公団住宅、三重・桔梗が丘の戸建て、奈良・高の原の戸建てと変わっていった。


俺、最近になって思うんだけど、今の時代、俺達が子供の頃に味わった感動ってものが少なくなったように思うんだよな。

ラジオから白黒テレビ、白黒テレビからカラーテレビ、公設市場からスーパー、銭湯から家風呂、平屋から団地、砂利道から舗装道、蒸気機関車からディーゼル車、ディーゼル車から電気で走る電車、日本がまさに高度経済成長期だったあの頃、一気に何もかもが変わっていったよな。もちろん、コンビニなんてなかったし、24時間営業のお店なんてなかった。


俺が大人になって、技術の進歩で感動したのは、ポケベル、携帯電話、ワープロ、そして個人がパソコンを所有するようになったことぐらい。

しかし、今の子供達は生まれた時からこれらすべてがあって当たり前の時代になっている。

確かに世の中便利になった。技術の進歩のおかげだ。しかし、便利になった一方で、何か大切なものが失われていくような気がする。


その一番が人と人とのコミュニケーションの方法。


昔、近所に必ず居たカミナリオヤジやご隠居さんと呼ばれる人達。

近所のお爺ちゃんやお婆ちゃんと子供達との交流も昔は普通だった。

世話好きなおばちゃんっていう人もいたよなあ。


今の日本では、変に子供に声をかけると、「不審者」として警察に通報されるらしいね。

まあ、実際に子供が犠牲になる凶悪犯罪も増えたよな。


俺達が子供頃は、学校から帰ると、宿題やって、すぐに外へ遊びに行った。夕方まで泥だらけになって遊んだよな。チャンバラごっこに戦争ごっこ、女の子はままごとにゴム飛び。そうそう、ドッジボールも流行ったよなあ。公園に行くと必ず、誰かが居て、一緒に遊んだ。

でも、今は公園で子供達が大声で遊んでいる姿を見ないと聞いた。

今の子供達は、学校から帰ると塾。場合によっては、家に帰らず、塾へ直行。

休みの日も、勉強、勉強。遊びはというと、テレビゲーム。


でもさ、これってすべて、俺達シニア世代が作り出した子供の世界だよな。

俺達が子供の世界を変えてしまったのかも知れない。


塾だって、俺達の子供時代は、学校の勉強についていけない子が通うところって認識だった。それが今では、塾に行って当たり前の時代。


どうして俺達シニア世代は、こんな世界を作ってしまったんだろう。何がそうさせてたのだろう。今一度、考えてみる必要があるんじゃないか。

このまま今の子供達が大人になったら、どんな日本になっているんだろうか。

学歴だけでその人物のすべてを判断してしまう。人格も学歴で判断してしまう。

それゆえに、我が子を塾に通わせ、寝ている時以外は、ずっと机に向かっている子供を作り出している。


「今の子供はひ弱になった」「今の子供は友達と遊んでいる時も携帯をいじっている」等々、大人達がぼやいているが、そんな子供の世界を作ったのは大人自身だ。


時には、子供と一緒に、自然の中で一日中、遊びまわってみたらどうだ。

自分たちが子供の頃に遊んでいた、ビー玉、面子(関西ではベッタンっていったかなあ)、缶蹴り等々を。


まあ、毎日、仕事で疲れているシニア世代の働く人達にとって、休みの日ぐらいはのんびりしたいって気持ちもわかる。だったらさ、外へ行かなくてもいいから、自分が子供の頃に経験した遊びや、感動した時代の移り変わりなんかを、家族に話してやろうよ。


俺は時々、子供達に自分の子供時代の面白エピソードを話す。テレビの漫画の話だったら、覚えている主題歌なんかを歌ったり、決め台詞を言ったり。妻も俺とは2歳違いだから、話が盛り上がる。子供達も面白そうに聞いているよ。


くどい様で申し訳ないが、今の様な希薄な人間関係の世界、外で遊ばなくなった子供の世界を作ってしまったのは、俺達シニア世代に責任があるって事だけは忘れないで欲しい。

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