俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

今日は俺にとっては最高の一日だった!!

またもや日付変更線を越えてしまった。今の俺の突発性難聴は睡眠不足も良くないと言われているけど、ついつい研究に熱が入ると、時間を忘れてしまう。


今日は感動的な事があった。


日本統治時代の花蓮・玉里で、仲良くしていた一人の台湾人(阿美族)のお爺さん(秀吉さん)と、日本人のお爺さん(宏さん)が、17年ぶりに電話で話が出来た。お二人とも91歳になられる。


阿美族のお爺さんは、「玉里の秀吉」(お名前がパチタル・ヒデヨシ)と呼ばれている元頭目の方。日本時代に、海軍に志願し、千葉県館山砲術学校まで進み、海軍兵曹長にまでなった勇士。硫黄島まで兵隊さん達の輸送もされ、硫黄島で兵隊さん達と一緒に一晩、寝たそうだ。また、五島列島では、乗船していた駆逐艦がアメリカ軍の潜水艦の魚雷によって沈没、数少ない助かった兵士の一人でもある。


玉里の秀吉さんは、小学校を卒業した後、花蓮農学校へ進学。そこで、一人の日本人の先生と運命の出会をした。農学校では、独身だったその先生の炊事当番となり、先生の食事のお世話をしながら、様々な事を教わった。先生も自分の弟の様に可愛がってくれたそうです。


戦後、農学校の先生は日本へ送還され、鳥取県にお住まいだった。
平成10年の夏、先生に胃がんが見つかった。先生は既に90歳になっておられ、ご高齢のため、手術が大変だという事を聞きつけた秀吉さん。既に、73歳になっておられた秀吉さんであったが、自分にとっては大切な恩師であるという事で、何と、玉里の山奥からはるばる鳥取までお見舞いに行かれたのです。60数年前の恩師の見舞いに行く報恩の気持ちにただただ感動するのみだ。
先生も教え子の遠方からの見舞いに、手術を一週間延期して、再会を喜ばれたそうです。


感動的な話はこれだけではなかった。


秀吉さんは鳥取から東京へと向かった。普通ならば、東京見物でもしたいのかと思うところだが、秀吉さんの目的は皇居と靖国神社、そして、富士山であった。
皇居へ行った後、秀吉さんは、靖国神社を参拝。拝殿で、感涙にむせびつつ、一緒に同行していた前述の旧友に対し、「久しぶりに戦友に逢うことが出来て、思いがけなかった、宏さん(旧友)、有難う」とおっしゃいました。


さらに、秀吉さんは宏さんに対し「どうして、日本の総理大臣は靖国神社を参拝しないのか。ここに祭られている英霊は、日本のために尊い命を捧げている。そして、そのおかげで今の日本があるのではないか。
日本の総理はアメリカのアーリントン墓地に行って献花しておられる。他の国に行っても同じだ。何故自分の国の靖国神社にお参りしないのか、命を捧げた戦友たちが可哀想だ」とおっしゃった。


この話をどの様に受け止め、どのように感じるかは、皆さん個人個人違うだろうが、俺は、この文章を読んで、涙が止まらなかった。


この話は、宏さんがある冊子に投稿された内容を参考にさせて頂いたのと同時に、先日、あるお客様より日本統治時代に日本語教育を受けた人々にお会いしたいという事でしたので、玉里の俺の知人にお願いをし、お会いしたのが秀吉さんで、そこでのインタビューをもとに記した。


実は、この秀吉さんとの出会いについては運命的な出会いであった。
実は宏さんの娘さんとは以前からの知り合いだった。俺のライフワークでもある湾生(日本時代に台湾で生まれ、育った日本人)の方々の台湾への里帰りのお手伝いをしているが、今年、72年ぶりに花蓮に里帰りされた方がおられたのだが、事前に、色々と当時の思い出をお聞きし、事前調査を行うのだが、その際、この方と宏さんが当時の花蓮港中学の同級生であることを突き止めた。
そこで、72年ぶりの花蓮への里帰りの前に、各々のお子さんに連絡をし、その結果、72年ぶりの再会を日本で果たされた。
また、宏さんのお父様は、台湾・花蓮で日本統治時代に初めてのコーヒー栽培に成功された方で、そのコーヒー栽培は、今でも花蓮で受け継がれている。


話は戻り、秀吉さんとお会いした際、「もう一度、宏さんと話がしたい」と何度もおっしゃっていました。
そこでますは、秀吉さんから宏さんへのビデオレターを撮影させてもらい、娘さんを介して、病院に入院中の宏さんに届けてもらった。ビデオレターを見た宏さんも娘さんに「話がしたい」とおっしゃってとメールでご連絡を頂きました。
そこで、娘さんに電話を入れ、「次回、病院へ行かれるご予定はいつですか?」とお聞きし、娘さんが病院におられる時間帯に、電話でお二人の夢を叶えてあげる事にした。
予定では、22日にビデオ通話をセッティングする予定だったが、今朝、娘さんより電話が入り、22日のご都合が悪くなったとの事で、急遽、8日に、電話だけになったがお二人の夢が叶った。


次回は、何としてでも、ビデオ通話出来るようにしたいと思っている。日本側病院のネット環境を確認し、必ず、実現したい。


今日は俺にとっても嬉しい一日だった。

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