俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

勝負に負けた自分を慰めている様では、頂上は勝ち取れない。

今日も日付変更線を越えての投稿になってしまった。


今日、Facebookを見ていると気になる記事が目に飛び込んだ。
時間がなかったので、斜め読みでの理解だが、オリンピックの女子柔道で、銅メダルを取った選手が「銅メダルですみません」と言った事で、世間の非難を受けているとか。
理由は、「他の銀メダル、銅メダルの選手に失礼だ。柔道は日本のお家芸なので、金メダルで当たり前というオゴリからの発言だ」とか。
皆さんはどう思ったのかなあ?


俺は、この選手と同じ気持ちだね。柔道だからではない。世界一を目指すアスリート達にとって、オリンピックで金メダルを取ることを目標に日々、苦しいトレーニングをしている。誰も銅メダルを目指してトレーニングなどしない。逆に、そんな選手は、銅メダルすら獲得出来ない。
日本人はオリンピックとなると、選手に対しメダル獲得に対する大きな期待をする。メディアもそれをあおる。選手にとってはそのプレッシャーとの戦いもある。


メダルが取れなかったら文句を言う。選手を批判する。その一方で、今回の選手の発言に対しても文句を言う。
何が他の選手に対して失礼なんだ。まったくその意味が俺にはわからない。


金メダルを目指して、人にはわからない苦しい練習と、先に述べたプレシャーの中で選手は頑張っている。
勝負は常に真剣勝負。負ければ終わり。
その精神で頑張った選手だからこそ出て来た、心の叫び、素直な気持ちだと俺は思う。


何故、この様な場面で、他の選手の事を考える必要があるのだろうか。銀メダルを獲得して満足している選手が居たとするなら、はっきり言って、その選手はそこまでの選手だという事だ。


どうも日本人は変なところに「他人への思いやり」を求める。俺はその考えには反対だ。
自分に厳しく、常に自分を律するからこそ、頂点に登りつめる事が出来る。


俺に言わせれば、この様な批判をする人間こそ、「自分は正しい人間」というオゴリがあるのではないかと感じる。


人間、生きていく上で、必ず勝負しなければならないという場面に出くわす。その場面は、人それぞれ、生きている世界によって異なるが、勝負である以上は勝たなければ意味がない。「参加することに意義がある」というのは、俺には負け犬の遠吠えにしか聞こえない。勝つために努力する。その結果、万が一、負けてしまった場合は、負けた自分を叱ればいい。周りの慰めなど聞く必要はない。負けた自分を「情けない」と責めればいい。そして、その「情けなさ」を今度は力に変えて、次の勝負では必ず勝ちに出る。
結果は結果だ。勝負はやってみなければ判らない。しかし、勝負に挑む際は、勝つことだけを目指して努力する。徹底的に自分を追い込む。逃げ道のない状況にまで追い込む。
ただひたすらに頂上を目指して。
そうすれば、負けた時に本当の「悔しさ」「情けなさ」を感じる事が出来、それが、次のパワーになる。


勝負に負けた自分を慰める様では、頂上は勝ち取れない。




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