俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

礼儀・恩義を知らぬシニア・シルバー世代が多すぎる日本

今日から俺の住んでいる地元の阿美族の部落で、豊年祭という祭りが始まった。
台湾は二期作なので、一期目の稲刈りが終わってから、豊年祭が行われる。


今日の部落では、部落の長老が椅子に座り、その周りを、男女に分かれて円形を組みながら踊る。
一日二回、朝と夜に踊り、一回は4時間半。
全員が民族衣装を着て、参加は自分が踊りたい時に、加わればいい。


部落には頭目がいるが、頭目は、部落民全員が推薦する人でなければ頭目にはなれない。選挙ではない。よって、人格者でなければならない。


彼らは年長者を敬い、大切にする。如何なる時も、年長者、特に、長老、頭目の言うことは絶対である。これは今も昔も変わっていない。


同じ阿美族でも部落ごとにその習慣や習わしは微妙に違う。


彼らの踊りを見ていて感じたのは、「本当に楽しんでいる」という気持ちが伝わってくる。さらに、外部から来たものを快く受け入れてくれる。


俺は台湾生活が長いし、原住民の友人も大勢いるために、「日本式遠慮」はしなくなってしまった。そのために、原住民の友人からは「お前は、俺達の部落にいてもまったく違和感がない」と言われた。喜んでいいのかどうか・・・・・。まあ、顔も濃い顔してるし、台湾人からも「あなたは何族ですか?」と聞かれた事は何度もあるし、原住民の人からは、そこの部族の言葉で話しかけられた事も何度もある。


今日の部落には、日本語教育を受けたご高齢の方も多く、俺も、日本統治時代の事を調べるために何度かインタビューに行った事があるので、顔見知りのお爺さん、おばあさんも多く、今日は、会場で皆とお会いして、楽しくお話をさせてもらった。


その時、一人の女性がそこの部族の言葉で「○○さんという日本人を知っているか?」と尋ねてきた。俺の知り合いにはいなかったので、「知らないけど、どうして?」と尋ねると、「数年前まで、毎年、豊年祭には来ていたのだが、急に、来なくなった。心配している。」との事。「その人の事を詳しく教えてくれたら、どうしているのか調べてあげるよ
」と聞くと、「いつも豊年祭の時だけ来て、誰かの家に泊まった、豊年祭が終わると日本へ帰っていく。私の家にも泊まったことがある。九州あたりから来ているとの事だが、住所までは知らない」との返事。


これって、俺が何を言いたいか判って頂けるだろうか。
もしもその日本人が、お世話になった方々へお礼状なり、クリスマスカードや年賀状を出していれば、必ず、住所はわかるはず。
結局、お世話に成りっぱなしって事。こういう日本人、本当に多いんだよ。
はがき一枚でもいい。どうして、お礼状が書けない。日本語でいいんだ。だって、日本語で会話したのだから。


俺の様に、「日本時代の話が聞きたい」とか「原住民の人とお会いしてお話がしたい」とか言う人がいるが、そういった人に限って、「成りっぱなし」という人が多い。


どうしてなんだろう。どうしてそのような事が出来るのだろう。俺には理解出来ない。
無責任というか、勝手な時だか人を利用する人間というか、最低なやり方だよな。
俺はこういった日本人を今までに大勢見てきた。あまりにも礼儀・恩義を知らない人間が多い。しかも、その年代は俺達シニア世代、そして、シルバー世代に多い。
恥ずかしいよな。
以前にも同じような事を書いたように思うけど、それだけ多いって事なんだよな。


折角、楽しい気分で豊年祭を迎えたのに、バカな日本人のおっさんの話で、一気に気分が下がったよ。
でも、その下がった気分を盛り上げてくれたのも、やっぱり、部落の人達だった。






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