俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

変化は成長、ステップアップ。それが出来ないのは、変化ではなく退化

俺は東台湾・花蓮の日本統治時代の歴史についての研究をしている。と言っても、別に歴史学者ではない。単なる、花蓮に住むおじさん。
でも、余計なシガラミがないので、自由に研究も出来るし、自由に発言も出来る。
歴史学者って、すぐに「裏付け」を求める。しかも、単に、誰かの証言だけはダメだそうだ。
俺は常に、当時の事を知っている人達へのインタビューを最重要視している。
実際にその現場を見た人、経験した人の言葉が真実そのものだと俺は思っている。


その一方で、俺が研究対象にしている人物に関しては、「生き証人」はすでにこの世に存在しておらず、少ない文献を頼りに、一本、一本の糸を手繰るようにして点と点を結び付け、線に変えていく。学者先生達の中では定説とされていることにも疑問を抱き、その疑問を解いていく。これがまた面白い。そして、新事実を発見した時は最高の喜びだ。
しかし、残念ながら、俺にはその新事実を発表する場所がない。せいぜい、Facebook、研究所のホームページ、ブログぐらいだ。しかし、それでも、文章に残す事に意味があると思い、続けている。
文章にさえ残せば、後世に伝承は出来る。


俺たちシニア世代にとって、これからの責務は、「後世への伝承」ではないだろうか。
自分が後世に対し、何を伝承することが出来るかは、10人いれば、10人共その内容は違う。ただ、俺が以前、友人にこの話をした時、友人は「俺、後世に伝承できる事なんてなーんにもないぞ。」って言ってたな。
俺はそいつに対し「お前さ、人生50年以上生きてきて、何か一つぐらい伝承出来るものあるだろう」とツッコムが、しばらく考え込んで「うん、やっぱり何もないな」という返事だった。


どんな些細な事でもいいと思う。何か一つ、後世に伝承出来るものを持とうぜ。
そうでないと、今まで何のために苦労してきたのか、何のために生きてきたのか、意味ないだろう。


若い人はまだまだ今から無限の可能性がある。今がすべてなんて思うなよ。若いころは今の考え、目標、目的が、明日になったら変わっている事だってある。それでいいんだよ。
ただし、今の考え、目標、目的よりも一歩でも半歩でもいいから、前に進ん変化をしろよ。
人は「考えがコロコロ変わる。優柔不断なやつ」って陰口言うかもしれないが、気にする必要などない。
若い間は、日々成長している。成長すれば、考えが変わって当たり前なんだ。
色々な世界を見ればいい。どんどん視野を広げて欲しい。仕事だって、今の仕事を一生続けるなんて思う必要はないと俺は思うぜ。
どんどんステップアップしていけばいいのだから。
でもさ、下積みは必要だぞ。何をするにも、基礎がしっかりしていないと、必ず途中で崩れてしまう。
就職して、「俺、こんな事するためにこの仕事選んだんじゃない。早く、第一線で仕事がしたい」という欲を持つことは必要だが、この世の中、無駄な仕事なんて存在しない。
今は無駄に思えても、それが必ず役に立つ時が来る。


「おいおい、言ってる事が矛盾してるぞ。最初は変わってもいいと言いながら、後半では下積みが大切と言ってる。」という声が聞こえたような、聞こえていないような。


矛盾なんかしてないよ。変化は成長したからこそ起こるもの。何の成長もなく、単に、「好き嫌い」で変化するのではない。


今の仕事を辞めた言い訳が「俺には、私には、この仕事は合わない」というのが一番多いが、これは俺は好きじゃないね。その仕事を本当にあんたはすべて理解したのかって聞きたい。すべてを理解し、その上で前述の言葉を発したならば、俺は納得する。
しかし、そうじゃないなら、言うな。こういう奴は単なる「根性なし」「自分に甘い」「わがまま」でしかない。こういう奴は、一生、子供をやってればいい。


変化は成長であり、ステップアップなんだ。それが出来ない変化は変化ではなく、退化なんだよ。これにだけはなりたくないよな。


シニアおじさん、おばさん、俺たちも後世伝承できる何かを見つけるために、退化せず、変化しようぜ。

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