俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

事業に成功するよりも、人生に成功したい。無我無心無欲安泰。これが今の俺の生き方。

台湾には本当にくだらない日本人が多い。いや、くだらないと言うよりも、暇な人間であり、自分は正義の味方と思い込んでいる「おめでたい」人が多いのだろうな。
元々日本人は人のうわさ話が好きで、人の不幸話が好きで、その結果、自分を慰めている愚かな人が多い様に思うが、特に、台湾にはそういった人が多いように俺は思うね。
まあ、どうでも良いことだけど、あまり自分を正義の味方と思い込んでいると、その化けの皮が剥がれた時、居場所がなくなると思うけどね。
これから台湾での生活をお考えの方、以前にもこのブログで書いたけど、台湾在住の日本人には十分にお気を付けください。って、俺も台湾在住だったな(笑)


さて、今日もまたまた言いたい事を書こうと思っているが、若い人に自分が昔経験したことを話すと「時代が違いますからねえ」という返事が返ってくる事が多い。「昔は頑張って、努力さえすれば成功した時代でしょうが、今のご時世、頑張っても、努力しても、成功する人などほんの一握りですよ」という声もある。


俺も若いときは年長者から色々と話を聞かされると、心の中で「時代が違うよ」とつぶやいていたものだ。


確かに、時代は違う。今の時代さ、努力とか頑張りだけでは成功できない時代かも知れない。しかしだ、だったら、昔は、頑張り、努力した人が皆、成功したのだろうか?
俺は違うと思うね。その時代にも、いくら努力しても、いくら頑張っても成功とは程遠い生活をしていた人がたくさんいたはずだ。成功者と呼ばれる人はほんの一握りだけしかいなかったはずだ。


だから、今も昔も、努力と頑張りだけではダメだってことだ。
では、どうやったら成功への道を進めるのか。色々な本が出てるよな。お偉い先生方の講演なんかもあるよな。それを参考にしたい人は参考にすればいい。
俺はそういうのは一切、興味はない。(だから未だに成功には程遠いんだ!なんて言うなよな)


俺はまず最初に考えるのは、「何を持って成功というのか」ということだ。
金持ちになることが成功?それもあるだろう。有名になることが成功?それもあるだろう。
でも、それだけで成功と言えるのか。お金持ちになっても、有名になっても、心安らぐ家庭がない人も多い。仮面夫婦ってやつだな。夫婦共々、浮気をして心の寂しさを癒している夫婦。子供は親に反抗ばかり。家庭内はすでに崩壊しており、ガタガタ。
これって成功かなあ?


俺が考える成功は、自分が最も心安らげる場所を見つけられた人、それが成功だと思っている。
だってさ、これはお金では買えないからな。


お金や地位や名誉というのは、昔から、努力や頑張りだけでは手に入らない。運も大きく影響する。勘も大きく影響する。
しかし、努力しなければ運も転がり込んでこない。頑張らないと勘も働かない。
目の前にビックチャンスが来ているのに気づかない人って多いよな。これって本当に不幸な話だよな。


成功が心安らげる場所だって言うんだったら、お金や地位や名誉は何なんだ!って言われるかもしれないな。
俺はお金・地位・名誉は社会貢献だと思っている。
社会に貢献するために、社会に還元するために、お金・地位・名誉って手に入れるものだと俺は思うね。こういった誉れ高き事は、一部の人に任せればいい。


俺は、社会貢献など出来るほどのお金も地位も名誉もない。心だけはある。
それで十分だと思う。俺が働くのは、最も心安らぐ場所を守るため。守り通すため。
そして、自分の夢を実現するため。


「俺なんていくら頑張ってもダメなんだ」なんて思っている人、そんな悲観的になるなよな。会社に社長は一人だけ。学校に校長は一人だけ。クラブにママは一人だけ。板場に板長は一人だけ。才能も必要だろうが、それ以上に、運と勘だけだよ。望めば手に入るものだよ。でも、望みすぎると、自分を苦しめる。何事も自然に、自然に。でも、チャンスを掴む眼と耳と鼻と手だけは常に磨いておけよ。


事業に成功しても、人生に成功していない生き方は俺には出来ない。
俺は、一度しか人生に成功したい。
事業に成功することも人生の一部じゃないかと言われるだろうが、俺の人生においては、事業は、単に生きるための糧であって、俺の人生の成功には関係ない。


社長業を引退した俺は、二度とその世界に戻りたいとは思わない。
サラリーマンを経験した俺は、二度とその世界に戻りたいとは思わない。


今はただ、無我無心無欲安泰。




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