俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

日本の刑罰はあますぎる! 加害者に人権などはない

日本のテレビでは、芸能人による強姦事件のニュースで騒がしいようだ。
この芸能人、立派な成人にも関わらず、母親が謝罪会見をしている。今までの二世芸能人の事件でも、必ず、親が謝罪会見を行っている。これが当たり前のようになっている今の日本。俺は疑問感じる。いや、違和感を感じる。


芸能人という職業柄、こうした親による謝罪会見が必要とされるらしいが、事件を起こした当事者が未成年ならばそれも納得だが、成人であるならば、親までをも引っ張り出し、馬鹿な質問をする記者の前でさらし者にする必要があるのだろうか。


今のマスコミのあり方については以前から俺は違和感を持っていた。昔のように、真実を追求する記者は少なくなり、目先の情報だけで、裏付けもほとんど取らず、読者受けする記事を書く、そんな記者が多くなりすぎている。


週刊誌、月刊誌、新聞という文字媒体とテレビや動画ネットという映像媒体。共に、凶器を使わず人を死に追いやることが出来る恐ろしいものである。
しかし、そのことを認識している記者は果たして何人いるのだろうか。


一方、世間も、今回の様に、二世芸能人が犯罪を犯した場合、親が謝罪会見をしなければ「何という無責任な親だ」と非難する。だから余計にマスコミは過熱し、非常識な質問を平気で親にぶつける。
報道する方も、それを見る方も、もう少し冷静に物事判断して欲しい。成人が犯した犯罪で、親がさらし者になる必要などない。


ところで、犯罪の中でも強姦罪は許されない犯罪だ。先日、俺のFacebookにある人が「今回の事件、あまりにも大げさに報道しすぎではないか。私は犯人の芸能人を応援していたし、好きだった。将来のある彼のためにも、もう少し、マスコミは冷静になって欲しい。彼が可哀想だ」という内容の書き込みを見た。
冗談じゃない。この様な卑劣で、人の心身に大きな傷を残し、被害者の人生を大きく狂わせるような犯罪を犯した者に、一切の同情は必要ない。
性犯罪者の再犯率は非常に高い。故に、海外では出所後、GPSを付けることが義務付けられている国もある。また、地域住民に、性犯罪歴があることを告知している国もある。


「刑に服したのだから、そこまでする必要はない。加害者にも人権がある。」などと言う人もいるが、加害者は刑務所に入って、刑期が終われば自由の身。しかし、被害者はどうなる。一生消えない傷を負ったのだ。
被害者の人権はどうなるんだ。


日本はまだまだ刑罰が甘い。すべての犯罪に対し、甘すぎる。
加害者の人権よりも、被害者の人権を最重要視すべきである。そもそも犯罪を犯した者に人権などないと俺は思う。


殺人も同じだ。一人なり無期懲役。二人以上なら死刑。何故、このような馬鹿げた判断が未だに続いているのか。判例法ではそうかもしれないが、刑法では殺人は死刑となっている。死刑廃止論者もいるようだが、俺は死刑賛成派だ。
いかなる理由があっても、人の尊い命を奪った者には極刑を下すべきだ。


未成年者の犯罪に関しても、今の少年法は甘すぎる。殺人を犯した場合、未成年であっても刑法の下で処罰すべきである。


自分が被害者若しくは被害者の家族にならない限り、その罪の大きさに気が付かないのだろうか。


青少年時代に犯罪を犯し、警察のお世話になった人もいるだろう。そして、社会復帰したが、世間の眼、世間の風当たりは厳しかったはずだ。
本人は少年院や鑑別所でそれなりに罪を償ったつもりだったが、それだけでは許されない社会を痛感したはずだ。
しかし、それでも見事に社会復帰できた人もいる。俺の知り合いにもいる。その人が言った言葉は「一度犯罪を犯せば、それがどんな罪であれ、その時点で人権はなくなる。罪を償ったからと言って人権は戻ってこない。何故ならば、それだけの事を自分は犯してしまったのだから。このことは、死ぬまで背負っていかなければならない。それは犯罪者として当たり前の報いだ。だから、世間の厳しい眼、厳しい風当たりに対して、恨むことはない。」


一度犯罪を犯せば、簡単には社会復帰は出来ない。何故ならば、被害者、遺族は、その人物によって、「楽しい、嬉しい、美味しい等々」の感情を奪われたのだから。


今日はかなり過激な発言になってしまったが、これが俺の本音だから。

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