コバンザメ流の生き方、俺には出来ない。したくない。
「人は一人では生きていけない」ってよく聞く言葉だよな。
確かに、一人では生きていけない。色々な人と直接、間接問わず関わって、人は生きている。
その中で、人は色々な事を経験し、日々で成長している。
問題は、その成長の内容だ。善の道で成長していけばいいが、関わった人間関係によっては、悪の道で成長していくこともある。
一流と言われたスポーツ選手や芸能人が、関わった人間関係によって、覚せい剤に手を出し、脱落していったって事もあるように。
今の世の中、ありとあらゆる場所に落とし穴がある。悪いと判っていても、自分では歯止めが効かず、ドンドン、悪の世界へと落ちていく。
一見、華やかで、交友関係も広く、常に目立つ人ほど、実際は孤独な人が多い。
何故、その人が華やかで交友関係も広い人に見えるか。それは、その人の持っているお金、名声が目的で人が群がっているだけの事。その人の人柄だけで人が集まっているのではない。
故に、そういった人が一度人生の道を踏み外すと、サッと皆が居なくなる。
これは悪の道だけに限ったことではない。事業で成功を収め、誰も知る有名な会社の社長というと、多くの人間がそこに群がる。しかし、少しでもその会社の業績が傾くと、昨日まで「社長、社長」と日参していた人までもが居なくなる。
そう考えると、「人は一人では生きていけない。」という言葉に矛盾を感じるよな。
俺は「人は一人では生きていけない。しかし、人は最後は孤独になり、残るのは家族だけだ」と思っている。
世の中って本当に不思議だよな。本を書いて、テレビに出て、人気が出てくると、その人は特別な人だと思い、場合によっては尊敬する人の一人に選ばれたりもする。
例え、その人が言っていることが間違っていても、人気がある間は誰もそれを指摘しない。逆に、その間違いを指摘しようものなら、その人がテレビや雑誌で「あいつは私の考えに異論を唱えた。許せない奴だ」と発言、表現すると、その人間を尊敬している他の人までもが、一斉に、異論を唱えた人を攻撃する。
しかし、何かのきっかけでその人の人気が下がってくると、あっと言う間に世間はその人物の存在までをも忘れ去ってしまう。
あれだけ「尊敬しています」と言ってたのに、平気でその人物を自分の記憶から消し去ってしまう。
考えてみれば本当に恐ろしい話だよな。
人間にとって一番恐ろしい事って、自分の存在を忘れられてしまう事だと俺は思うね。
ほら、よくテレビでも「あの人は今」なんてタイトルで、昔、人気のあった芸能人や著名人の今を取材している番組があるだろう。あの番組に選ばれた人はいいが、選ばれもせず、完全に人の記憶から削除されてしまった有名人もたくさんいるよな。
まあ、俺の場合はその様な心配もする必要はない。有名人になれる確率も低いし、大金持ちになる確率も低いから。
人間関係を構築する上で、損得勘定なしで、一人の人間対人間として付き合える仲間が何人いるかってことが本当、大切だよな。
世の中、コバンザメの様な連中が多いから。
少なくとも、自分がコバンザメにだけはならないと決めている。だから、相手がどれだけ有名な人でも、俺には関係のない人だったら、お付き合いはしない。
名刺交換して、速攻、その名刺はホルダーの中に入れ、引き出しの奥にしまっておく。
実は、そういった関係の人専用の名刺ホルダーがある。
そのホルダーを出して、その中から人を探すというのは、まずない。
ある時、そのホルダーに戴いた名刺を入れていた時、たまたま友人が遊びに来ており、そのホルダーを見た。友人はそこに入っている名刺を見て「ちょっと見せてくれよ」と俺からそのホルダーを奪い、真剣な眼差しで一枚一枚の名刺を見ていた。そして、「お前、こんな人とも知り合いなのか。この人、業界では超有名な人じゃないか」と驚いた。
俺は「いや、知り合いじゃないよ。たまたま名刺交換したというだけで、知り合いでも何でもない」と返事した。
友人は「お前、本当にバカじゃないか。こんな凄い人物と名刺交換したんだったら、もっとその人間を活用したらいいじゃないか。この人と知り合いですと言うだけで、お前の交友関係も広がるぞ」と真顔で俺に説教していた。
俺は適当に笑顔でスルーしたが、まったくそんな気はない。
俺は俺と言う人間を見て、俺を信用し、互いに切磋琢磨しながら成長していける相手としか付き合いたくない。「有名人と知り合いの俺」という事で近寄ってくる様な相手は、所詮はそれだけの人。お付き合いする必要性もない。その人とお付き合いする時間があるんだったら、別の事に時間を費やしたい。
コバンザメの様な生き方は俺はしたくない。俺には出来ない。
この歳になると、嫌いな人間と無理をしてまでお付き合いはしたくないと思う。
今まで十分に、自分を押し殺して、嫌な人間とも付き合ってきた。もう十分だ。
俺は俺らしく生きていきたい。だって、俺の人生だもん。
最後に一言、俺は人の生き方に対し、とやかく言う気はない。だから、コバンザメ流の生き方も否定はしない。でも、肯定もしない。