俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

子供に親の価値観を押し付けるのはやめようぜ

「我が子ほどかわいいものはない」とほとんどの親はそう思っているはずだ。俺もそうだ。
しかし、子供はいつの日か親元を離れていく。好きな相手が見つかれば、親と過ごす時間よりも、その好きな人と過ごす時間を少しでも多く持ちたいと思う。
それを責めることは出来ない。何故なら、俺たちも若いころに同じような経験をしたはずだから。


子供に大きな期待をするのはやめた方が良い。子供には子供の人生がある。「自分が医者だから、子供にも医者になって欲しい」とか「自分の会社をゆくゆくは息子に継いでもらいたい」という気持ちはわかるが、それを子供の重荷にしてはいけない。
例え自分の血が流れている子供であっても、自分=子供ではない。単に、環境がそうだというだけで、その環境に馴染めというのは親のエゴだ。


もっと最悪なのが「お父さんの様になりたくなかったら」という言葉で子供にプレッシャーをかけることだ。こんな母親だと、ろくな子供は育たない。


親が子供にしてやれることは、色々な夢を見させてやること。色々な可能性を導き出してやること。そして、選ぶのは子供自身だ。


大人の世界の常識を無理やり子供に押し付けるのは俺は反対だ。だって、その「大人の常識」という事自体が、本当に常識なのかが疑わしいからだ。


学校教育の中で俺がどうしても理解できないことがある。それは、読書感想文コンクールと絵画コンクールというやつだ。


特に、読書感想文コンクールって、一体、何を基準に判断するのだろうか。一冊の本を読んで、その子がどの部分に感動したのか、全体的にその書をどのように解釈したのか、これは各々違って当たり前だ。育った環境も違えば、受けた家庭教育も違う。
にもかかわらず、大人はその感想文に勝手に評価をつける。大人の常識が世界の常識だと思っている証拠だよな。
個人個人の感想に優劣をつける事自体、俺には納得いかないことだ。


絵画コンクールも同じだ。昔、俺の友人の妹が幼稚園の先生をしていた。園児のお絵かきの時間に、子供が太陽を青く塗ったそうだ。一人の先生はその子に対し「太陽hじゃ青じゃないでしょう。赤でしょう」と叱ったそうだ。それを聞いた俺の友人の妹は猛反論したそうだ。「今、この子には太陽が青に感じている。それを無理やり赤だと押し付けることは間違っている」と。俺もその話を聞いて彼女に賛同した。しかし、俺の友人、すなわち、その先生の兄貴は「太陽は赤いものだと教えるのが教師としての務めだ」と妹を責めた。
皆さんはこれをどう思いますか?


大人というのは、どうしても自分の価値観を子供に押し付けたがる傾向がある。それが我が子となると余計にその傾向が強い。
親として自分は本当に満点だと思っているのだろうか。完璧な親だと思っているのだろうか。もしもそのような人がいたら、お目にかかりたいものだ。


親は子供に生きるヒントは与えることが出来る。しかし、生きるための正解を出すのは子供自身なのだ。まあ、元々、生きる上での正解など存在しないと俺は思っている。
だから人生は面白いのだが。


子供に生きるためのヒントを与え、そして、人生を楽しく過ごせるようなヒントを与えるためにも、まずは、親自身が、今の人生を楽しんでいるかだよな。
子供は見ているよ。夫を蔑ろにする妻。妻を蔑ろにする夫。会話もなく、愚痴と責任転換だけの夫婦の会話を子供は聞いているよ。


常に忘れて欲しくないことがある。自分の子供時代の事。自分が生きてきた過程を忘れずにさえいれば、子供に一方的に自分の価値観を押し付けることもなくなると思うぜ。

×

非ログインユーザーとして返信する