俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

戦場と砦、共に大切。夫婦=戦友だよ

俺はよく「妻との会話を大切に」と書いているが、実際に、妻との会話を重要視しているシニアオジサンはどの程度いるのだろうか。また、その会話の中身はどんな事を話しているのだろうか。


日々、会社という戦場で闘い、心身ともに疲れ果てて帰路につくオジサン達。家に帰ってまで、妻や子供の相手なんて勘弁して欲しいと思っている人も少なくはないと思う。


例えば、60歳定年の場合、高卒者なら約42年、大卒者なら38年、第一線で闘い続けているわけだ。人生の半分以上を会社、仕事に捧げているってことになるよな。
本当にご苦労様と言いたい。


人生の半分以上を会社に捧げた人生が、定年という節目を迎え、一瞬にしてなくなってしまう。昨日まで、当たり前の様に家を出て、会社に向かっていたのに、今日からは、行くところがない。部下もいなければ、お得様もいなくなる。接待も、残業も、会議もすべてなくなる。
そうなった時、仕事人間だった人は、これからの自分の生き方というものに戸惑い、悩み、苦しみ、挙句の果てには、うつ病になる人まで出てくると言う。
こういった人にとって、一体、人生って何だったんだろうか。


人は働かないと飯は食っていけない。家族を養っていくことが出来ない。だから現役時代は我武者羅に働く。自分自身の欲(出世欲)のためにも、必死になって働く。
それが当然の事を信じて疑う事もなく、時には家族を、時には自分を犠牲にしてまで働く。「俺が、私が居なければ、会社は回らない。部下が困る」と思い、信じ、働き続ける。
しかし、定年を迎え、会社を去った後も、その会社は存続しているし、部署も存続している。部下達も出世していく。
気がつけば、自分がその場所に居たという事すら、皆の記憶からは消し去られてしまっている。


でも、人は働く。どこかで「自分は会社の中の歯車に過ぎない。交換が効く歯車に過ぎない」と判っていても、それを否定、いや、認めたくないために、人一倍働く。
皆の記憶に残る歯車でありたいと願いながら。


社会で働くものは皆が同じ思いで闘っている。だからこそ、家に帰って来た時だけでも、心癒される場所であって欲しい。疲れ、傷ついた心身を休める場所であって欲しいと願う。


しかし、忘れてはいけない。自分が外で闘っている間、家という大切な砦を一人で守り続けている人がいるという事を。仕事が終わり、当たり前の様にして帰る家。しかし、これは決して当たり前ではないのだ。大切な砦を必死に守り続けてくれる戦友がいるからこそ、その場に帰れるのだ。


男も女も、外で働いている人はどうしても自分一人が闘っていると思いがちのようだだが、それは大きな間違いだ。
家を守ってくれている人も、必死に毎日を闘っている。
どちらが大変かなんて甲乙を付けられるようなものじゃない。


会社はあなたにとっての砦なんかじゃない。砦は家そのものなんだ。会社は戦場、家は砦。各々が、自分の持ち場で、自分の責務を果たすために、必死に闘っているんだ。


だから、互いに相手を気遣い、支えあい、相手が傷ついているときは、そっと手当をしてやる必要がある。


戦友を思いやる心を忘れたら、闘いには勝てない。


砦があるから戦場で闘える。戦場で頑張っているから、最高の砦として戦士を迎えようとする。


それが夫婦ってものじゃないかなあ。夫婦=戦友だと俺は思うね。


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