俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

先人の魂を感じながらの研究

俺は花蓮という場所が好きだ。だからここを終の棲家として選んだ。
何故好きか。理由は色々とある。自然豐かな場所。時間がゆっくりと過ぎていく場所。人情の深い場所等々。


俺は花蓮に来るまでは、歴史にはほとんど興味がなかった。歴史=受験のために年号や人名を覚えるものというぐらいにしか思っていなかった。


まあ、年齢の関係もあるのかもしれないが、花蓮に来て、日本統治時代の歴史に触れた時、強い衝撃を受けた。花蓮につい70数年前まで日本人が大勢住んでいた。日本人の移民村もあった。今、自分が歩いている道を、俺と同じ日本人が歩いていた。子供達が遊んでいた。同じ日本人が暮らしていた。涙を流した時もあったろう。喜び合った時もあったろう。その地に、俺は今、住んでいる。でも、何も知らない。あまりにも無知すぎる自分がいた。
俺はすぐに図書館に行って、日本統治時代の資料を探した。昔の写真集なんかも探した。そこには、紛れもなく、日本人が写っていた。


そして気がつけば、花蓮における日本統治時代の歴史の研究に没頭するようになっていた。資料は数少ない。特に、日本語で書かれた資料はほとんどない。台湾の大学の先生方が書いた中文の論文を読みあさった。しかし、どうも自分の中で納得のいかない部分があった。それは、台湾人の視点から書かれた論文。日本人が何故その時、何故その様な行動を行ったかは、台湾人には理解など出来ない。
だから俺は現地を歩いた。当時の事を知る(日本教育を受けた人達)を探し、徹底的に取材を行った。


そこから少しづつ見えてきた日本統治時代の花蓮の様子。


花蓮を日本だと信じて生きていた日本人。花蓮を故郷だと信じて生きていた日本人。花蓮を終の棲家だと信じて生きていた日本人。その一方で、自分は台湾生まれの日本人だと信じていた台湾人。日本国のために命を投げ打つ事が美学であり、生き様だと信じていた台湾人。


沢山の人達の声を聴き、たくさんの場所を訪れ、そこに残された日本の歴史を見つけ、触れ、感じた。


名も無き大勢の日本人、台湾人、原住民が様々な建造物を作り、それが今でも数多く残されている。


歴史に興味はないという人も、それを見れば必ず何かを感じることが出来る。今までご案内した日本人、皆がそうだった。最初はあまり歴史には興味はないという素振りだった人も、その現場に立ち、先人の息吹を感じ、涙する人もいた。


国民党によって無残に取り壊された神社跡。そこに立つ日本人のほとんどが、今は無い本殿の前で手を合わせる。姿はなくても魂を感じることが出来るのだろう。それが日本人。


毎日を忙しく過ごす皆さん、ほんの一瞬でもいい。今、あなたが居る場所に、昔、同じ日本人が生きていたという事を感じて欲しい。その人達がいたから、今の自分たちがあるのだという事を忘れないでほしい。


日本から飛行機で3時間ほどの台湾にも、大勢の日本人が生きていました。
花蓮だけでも2万人の日本人が生きていました。台湾全体では479,000人もの日本人が生きていたのです。
この人たちのおかげで、今の友好的な日台関係があるのです。


各人が時間を作って、身近な先人=先祖の事を少しづつでいいからまとめておくことも必要じゃないかなあ。自分の子孫のためにも。


俺はそう思うけどなあ。

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