俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

「俺らしく生きる」ためには、常に会話しないとな!

台湾への家族全員での移住。しかし、移住する際、台湾へ行って何をするかと言う事について、具体的に決めて移住したわけではなかった。

とにかく、大好きな台湾で自分らしい生活がしたいというだけで、家族4人で台湾へ移住した。無鉄砲、無計画もいいところだ。

人は「よくもまあ、そんな無責任な行動を取ったものですね」と言われた。

確かにそうかもしれない。しかし、日本にいる時、家族会議を何度も開き、その際、最終的に出た結論は「日本に居て、あれやこれやと考えているよりも、実際に台湾へ行き、今の台湾で出来る事をやる方がいい。」という結論に達した。


最初に移住したのが台中。家を探しながら、今の台中の市場で何が足りないのか。何が求められているのかを同時に探した。そして始めたのが「日本家庭料理のお弁当屋」。

俺は妻の作るコロッケが大好物。この美味いコロッケを台湾の人にも食べてもらいたいと思った。また、俺も料理は好きな方だったので、好物の豚肉を使った様々な料理を創作し、提供した。従業員は子供達。よく頑張ってくれた。二人とも中国語が当時は全く分からなかったのに、必死に接客をしてくれた。朝の出勤時間には、チラシを作って配ってもくれた。家族が一丸となって、生まれて初めての飲食業にチャレンジした。


お店はおかげさまで大繁盛。台中では当時は珍しいオープンキッチン。お客様の目の前で、すべての料理を調理する。手抜きは一切出来ない。お客様もそれを物珍しそうに見学している。常にお客様の視線を感じながらの緊張の連続だった。


朝は5時半に起きて市場にその日の食材を買い出し。買い出しは毎日。新鮮な食材を使うというこだわりを持っていたから。

市場から変えると仕込み開始。11時開店。弁当の配達も受け付けていた。受付は10時から。電話が鳴り続ける。お昼休みが始まると、一斉にお客様がお弁当を買いに来る。

当時、バイク、車が運転できるのは俺だけだったので、配達分は、11時半から30分で数十件を走り回った。お店に戻ると、お店の前に行列。慌てて厨房に入り、調理。

13時半頃まで厨房内は戦場となる。

14時から17時までが昼休み。遅めの昼食を家族で食べ、小休止。15時半過ぎからは夜の仕込み。閉店は21時。そこから、厨房の掃除をして、終わるのがほとんど毎日0時を回っていた。子供達は先に休ませ、妻と二人、厨房で片づけ。

台湾では、お弁当屋であっても、店先で食べたというお客様も多いので、最初の頃は、お店の前の通路にテーブルを出し、店員16名までならOKとした。夜は特に、ここで食べたいというお客様が多く、ついに、オープンキッチンの裏、元々は休憩室だった場所を客席に改装した。客室完成と同時に、店先のテーブル席は撤去し、20名様収容の客室にした。

客室では月に一回、台中で活動している各ジャンルのミュージシャンを呼び、ライブコンサートもやった。


店を開店させて10か月。休みなしで走り続けた。店も繁盛し、売り上げも右肩上がり。


そんなある日、息子が「台湾に来てもうすぐ1年になるけど、僕が知っている台湾は、このお店とお店の近所だけだ」とつぶやいた。俺はその言葉に衝撃を受けた。

「俺はなんのために台湾に来たんだ。俺らしい生活、俺らしい生き方を探しに来たはず。しかし、今の生活は、家族を巻き込み、日本にいる時よりも忙しく、話す内容はお店の事ばかり。こんな生き方をするために台湾へ家族で移住したんじゃない!」と気付いた。


俺はその日の夜、妻に「今のままでいいんだろうか」という事を相談した。俺は何かを決断するとき、必ず、最初に、妻の意見を聞く。そして、徹底的に妻と議論する。

互いの考えを正直に打ち明け、本音で話をする。絶対に自分お考えを押し付けたり、真逆の意見が出ても腹は立てない。そして、お互いが納得できるまで話し合う。

そして夫婦の意見をまとめ上げたうえで、今度は子供も入れての家族会議を行う。この際も、まずは、子供達の意見を先に聞く。そして、子供達の意見に対し、否定的な反論は絶対にしない。家族会議も夜中まで続く事がある。お互いが本音で、自分の気持ちをぶつけあう。子供なりに持っている不満、希望もしっかりと聞く。これは俺の不満、希望、妻の不満、希望についても同じだ。

そして、出した結論は、「今月でお店は閉店」だった。


決めたら行動は早い。早速、閉店準備に入り、次の引っ越し先を探した。

次は妻や子供の希望で台北に出る事にした。

台北での話はまたの機会にしよう。


俺はいつも思う事がある。俺は俺らしく、俺の人生を生きる。この「俺の」の言葉の中には、必ず、「家族」がある。これは結婚し、家族を持った男として当然も事だと俺は思う。

ただ単に「俺の」を「俺だけ」と自分だけの事だけで考える奴に家庭を持つ資格などない。

自分を信じ、自分と共に生きる事を選んでくれた妻。まずは、妻の意見、考え、不満、希望をすべて聞き、互いに納得するまで話し合い、その結果を含めての「俺の生き方」という事が大切なんだ。そして次に子供だ。子供達の声にもしっかりと受け止め、それを含めた最終的に「俺らしく生きる」という事だ。


俺の中には家族がある。常に家族が同じ方向に向かって進んでいかなければ、決してうまくはいかない。ただ、ここでも注意しなければいけないのが、「同じ方向」の意味だ。

この「同じ」は「俺達は、私達は家族なんだ」という意味。

親と子供。進むべき道は違って当然。医者の子供が必ず医者になるとは限らない。バカな親は、すぐに、自分の進んだ道を子供にも進んで欲しい思う。とんでもない考えだ。

子供には子供の人生がある。考えがある。親の思い通りにはいかない。

俺が言いたいのは、進むべき道が違っても、心は常に「家族」という強い絆で結ばれている事が大切だという事。

その絆を保つためには、時には大喧嘩もするだろう。反抗もするだろう。

でも、これらの様々な壁をも、「家族」という心で向き合い、ぶつかっていけば、時間はかかっても必ず乗り越えていける。俺達家族も乗り越えた。


縁があって夫婦になり、縁があって家族になった。


信じあえるのが家族。しかし、信じるためにも、お互いがしっかりと向き合い、話し合い、喧嘩し、理解し合っていかないと、それは信じるとは言えない。


よくあるよな。「俺はお前を信じていた。だから今まで何も言わなかった。聞かなかった」というのが。俺に言わせればそれはただ単に逃げていた。真実を見る事から逃げていた。としか思えない。何も聞かない。何も言わないで、一体、何をどうやって信じていたの?その人を愛し、結婚しようという一大決心をするまで、相手と色々な会話をし、質問をし、そこから相手を理解し、愛へと変わっていったはず。結婚してからも同じことだ。

年齢と共に、人の考えは変わる。いや、成長する。様々な経験から、自然とそうなる。

だからこそ、いつまでも互いを信じあい、愛し合っていたいのなら、話し合う事から逃げてはいけない。


俺はそう思うけどなあ。

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