俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

人間関係で悩むのは時間の無駄!

今あなたの周りには、どんな人達が集まっている?

例えば、何をやっても上手くいかない時ってあるよな。そんな時、自分の周りにはどんな人達が集まっているかを冷静になって見つめてほしい。おそらく、自分と同じように、何をやっても上手くいかないという人達ばかりじゃないかなあ。

無意識のうちに、上手くいっている人達と自分との間に高い壁を築いているはず。

そして、同じ境遇の人達と傷を舐めあって、上手くいっている人の悪口言って、自分たちを慰めている。

これじゃ、いつまで経ってもトンネルからは抜け出せないぜ。


今の自分の生き方を変えるっていうのは、俺達の年齢になると簡単な事ではない。

でもさ、自分の生き方って、自分自身で変えるしか方法がないんだよね。


突然だけど、コロンは使ってるかい?汗臭いオヤジはダメだぜ。アフターシェーブローションは何を使っている?

コロンやローションの香りを変えてみるというのもいいかもしれないな。

ネクタイの色、カッターシャツの色を変えてみたり、カバンを新しくするのもいいかも知れない。

「おいおい、また外観から入るのかよ」と’言われるだろうが、その通り。

外観から変えるんだよ。

外観が変われば、気分が変わる。気分が変われば、考え方が変わる。考え方が変われば、視点が変わる。視点が変われば、視野が広がる。視野が広がれば、新たな出会いと巡り合える。新たな出会いが自分を変える。


人生の中で人間関係の問題というのが一番の悩みだよな。人は一人では生きていけない。世捨て人にならない限り、必ず、他人との交わりはある。

家族の間でも意見の対立があるのだから、他人との間で意見の対立があって当たり前。

生まれも、育ちも違うのだし、当然、価値観も違う。

まして、日本人の場合は、本音を隠してお付き合いというのがほとんどなので、余計に厄介だ。


俺も人間関係では色々と苦しんだ。まあ、俺の場合は変わり者だから当然の事なんだろうけどね(笑)


俺の持論なんだが、悩んでいるヒマがあるなら、考えろ。考えているヒマがあるなら、行動しろ。行動すれば、おのずと答えは見えてくる。と思っている。


人間関係で悩んだ時も同じだ。俺だって最初は悩むよ。でも、悩んでいる自分をもう一人の自分が見る。すると、「俺は何故悩まなくてはいけないんだ。」って変に冷静になってしまう。すると、悩んでいる事自体「無駄」に感じてくる。

だってさ、悩み、考えたところで、人間関係の問題に、答えなんて見つかるはずもない。

相手の気持ち、考えなんて、わかるはずもない。だったら、そんな無駄な時間、もったいない。

だから悩むのをやめ、直接相手にズバリと質問する。例えば、「先日、ある方からあなたが私の事について色々とおっしゃっていると聞いたが、その根拠はなんですか」ってね。

そこで、明確な回答が出てこないような相手ならば、お付き合いをするに値しない相手だってこと。切ればいい。自分には必要のない人間関係なんだから。

でもね、不思議と、その後には必ず新しい出会いがあるんだ。

無駄なものを切り落とした分、新しいものが入る余地が出来るんだろうなあ。

新しい出会いが、新しい自分を引っ張り出してくれるよ。


最近はSNSで匿名で個人攻撃をする卑劣な輩が多いが、ある程度は無視しておけばいい。真剣に悩む必要などない。しかし、相手の行為がエスカレートしてきたら、その時は徹底的に潰せばいい。合法的に。

ただし、SNSでの攻撃に対して、合法的に潰しにかかる場合、それなりの準備は必要だ。証拠をしっかりと集め、すべてを書類にしておく。エスカレートしている相手は、こちらが何もしなくてもいくらでも自分から証拠を出してくれる。それをしっかりとストックし、決定的なものが出て来た時点で、警察に行こう。

警察も忙しいから、重大事件から優先的に捜査すると言われているが、昨今、SNSでの事件が多いため、警察の考えもかなり変わってきている。


いずれにせよ、一人で悩んでいても何も問題は解決しない。

家族に相談。まずはこれが最初の第一歩だ。


そこで活躍するのが、俺達オヤジですよ!!


家族の悩みにしっかりと向き合い、決して「そんな下らん事で悩むな」なんて事は言わず、本気になって家族の悩みに向き合ってあげる事が大切。


逆に、妻も夫の悩みを聞いてやって。夫も妻に自分の悩みを打ち明けよう。

答えが出る出ないは別にして、夫婦で同じ問題に向き合えば、それだけでも心丈夫なもんだぜ。妻には自分の弱さもさらけ出そうよ。それが夫婦だろ。


心配をかけ、心配する。それが家族だよ。

妻への遺言、子供への遺言

俺達の年齢になると、色々な人生の節目に出会う機会が増えてくる。

幸せな人生の節目ならいいが、悲しい節目にも出会う。


俺は30歳の時に父親が、39歳の時に母親が亡くなった。親父が死んだのは今の俺と同じ年齢の時。ガンだった。発見されたときにはすでに手遅れで、余命1か月と言われた。


母親から「お父さんが健康診断で再検査って言われた」と電話を受けた。当時、俺は台湾で暮らしていた。連絡を受けた俺はすぐに日本行きのチケットを予約し、親父の再検査日に間に合うように日本へ戻った。

医師からの宣告は俺が聞いた。最後まで母には内緒にした。俺の両親は本当に仲が良かったから、母親が知れば父親にもすぐに知れてしまうと判断したからだ。


父親が亡くなり、しばらくは日本に留まったが、当時、台湾での仕事は多忙を極めいて、お店の新規開店も数件控えていた。

一旦、台湾に戻った俺は、お店の新規開店を見届け、その後の段取りをスタッフに伝え、再度、日本へ戻った。長男だった俺は、このまま母を残して台湾へ戻る事は出来ないと思った。俺には兄弟姉妹がいたが、すぐ下の妹は既に結婚していた。弟とは12歳、妹とは14歳も歳が離れていた。

弟は大学生、妹はまだ高校生だった。

話し合いの結果、俺は定期的に日本へ帰ってくるという条件で台湾へ戻ることになった。


それから5年。弟も結婚し、妹も婚約が決まった。母親からある日一本の電話があった。

「そろそろ帰って来てほしい」と涙声で。母の涙には弱い。

俺は台湾での事業をすべて人に譲り、日本へ戻った。35歳の時だった。


そして4年後に、最愛の人、母との別れ。ショックだった。親父との別れの時もショックだったが、その時は、「これからは俺が責任を持っていかなければならない。親父との約束だから」という張り詰めた気持ちがあった。しかし、母の死は、その張り詰めた心の糸が音を立ててブチ切れた様に思えた。


よく人は「いつまでも悲しんでいたら、亡くなった人も悲しむよ。元気出して、亡くなった人の分も頑張って生きなければ」って言うよな。でも、そんなのは無理な事だ。

悲しみなんて消えない。時間が経てば経つほど悲しみは深くなる。

悲しければ泣けばいい。思い切り泣けばいい。俺は泣く。今でも、親父や母親の事を思い出して泣く。

でもさ、悲しいかな、涙って枯れるんだよな。どんなに悲しくても涙が出ない時もある。


両親との別れも辛いが、最愛のパートナーとの別れ、子供との別れっていうのは、もっと辛いものだと思う。辛いなんて表現だけでは足りない悲しみだと思う。


俺はそういった人に何と声をかけていいかわからない。「元気出して」とか「いつまでも悲しまないで」なんて無責任な言葉は言えない。


もしも今、妻との別れが来たら、俺は生きていけないかも知れない。でも、だからと言って自ら命を絶つ勇気も無いかも知れない。それって、生き地獄だよな。


俺は妻に「絶対に俺より先に死ぬな」とお願いしている。すると妻は「絶対に死なない。その代り、すぐに迎えに来て」と言う。俺のことだから、すぐに迎えに行くだろう。

子供達には悪いが、俺は独りぼっちは嫌いだ。だから、子供達にもお願いしていることがある。俺が死んで火葬された後、俺の骨だけを先に墓には入れるなってね。

俺と母親(妻)の骨を一つにして、一緒に墓に入れてくれって。


最愛の人に先立たれた人に言えるのは、

「突然やってきた愛する人との別れ。悲しければ泣けばいい。泣き続ければいい。我慢する必要も、無理に元気を出す必要もない。今の悲しみを後何年持ち続けて生きた行かなければならないかはわからない。後何度、悲しみの涙を流さなければならないかわからない。辛いだろう。でも、その涙、その悲しみを持ち続ける事ができるのは、あなただけだ。愛する人から与えられた最後の愛の証かもしれない。

残酷な愛の証かも知れないが、それも受け止めてあげる必要がある。

愛する人ともう一度再会したいのならば、自殺はダメだ。自殺すると、愛する人からの最後の愛の証を拒否したことになり、二度と巡り合えることはない。

これからの人生は、愛する人との思い出の中で生きていけばいい。二人で行った思い出の場所。そこでまた思い出して泣けばいい。そこで泣けるのはあなただけなんだから。

亡くなった人の事を思い出して、本気で悲しみ、本気で泣けるのは、あなただけ。あなたにだけ与えられた愛。」



オヤジ達、奥さんは世界一の宝石の様に輝いているかい?

最近の花蓮は、梅雨も明け、夏本番。昼過ぎにはお決まりのスコール。一雨降って涼しくなると思うかも知れないがとんでもない。暑さは続くよどこまでも!!


ところで、シニア世代のオジサン達よ。夫婦の会話ってあるかい?

昔、同僚が話していたけど、「朝起きて家を出て、仕事終わって一杯飲んで、家に帰って寝るまでに嫁と交わした言葉は「うん」だけ」これって寂しい話だよな。


そもそも、仕事帰りに何故、一杯飲んで帰らないといけないの?酒が飲めない俺には理解不能。仕事終われば、さっさと家に帰ればいいのに。

そう言えばその同僚がこんな事も言ってたね。「たまに早く家に帰ると、嫁が「何かあったの」とか「今日は珍しいわね」なんて嫌味言うんだよな」って。

嫌味言う嫁も嫁だけど、言わせているお前さんの方に責任があるんじゃないのと俺は思ったね。


先にも述べた様に、俺は酒は嫌いだ。そりゃ若い頃は若さに任せてかなり無理して飲んでいた時期もあった。特に、台湾では酒の席も重要な仕事の場という考えがあるからね。でも、それも一昔前の話。今では、昔の様に派手な飲み方をする連中も減ったし、特に、今の台湾人は健康には日本人以上に気を付けている人(健康オタク)が急増しているからね。

まあ、そんな事も知らず、未だに「台湾で仕事を成功させたいなら、酒が飲めないとダメだ」なんて、時代遅れの事を知ったかぶりして話している台湾オタクもいるようだけどね。


サラリーマン時代、先輩に誘われて何度か嫌々ながらも酒の席に参加したこともあった。当時俺はまだ30代後半。先輩は丁度、今の俺と同年代のシニアオジサン。

酒の量が増えてくると決まって説教が始まり、そして最後は、会社への不満、上司への不満大会が始まる。俺、こういうの大の苦手。いや、大嫌い。

最初の内は苦笑いしながら聞いているが、だんだんイラついてくる。そして最後は「先輩、そんなに会社や上司に不満あるなら、会社辞めたら」と言ってしまう。

この一言が導火線に火をつけてしまう。自爆だよな(笑)。


酒って適量がいい。何度も言うが、俺は酒は飲めない。厳密にいうと、外では飲まない。他人とは飲まない。飲むなら家で、妻と一緒に、美味い酒を飲みたい。

食後に妻と二人、家の屋上に上がり、そこで満天の星空の下、赤ワインをのーんびりと飲む。

聞こえてくるのは虫の声だけ。明かりは月と星の灯だけ。そこで、妻と時間を忘れて色々な話をするのが俺の楽しみ。


俺が唯一、正直になれるのは妻の前だけ。自分の弱さをさらけ出せるのも妻の前だけ。

妻も俺の話をちゃんと聞いてくれる。実現可能か、不可能かわからないような俺の夢物語にもちゃんと耳を傾けてくれる。そして、自分の意見も出してくれる。

この世で一番愛する女性と一緒に過ごせる時間。最高の時間だ。


56年生きて来て、酒で人生を棒に振った連中も大勢見て来た。酒は適量がいいよな。


俺と同年代のオジサン達よ、最近、妻に自分の夢を語った事あるかい?

この歳になると夢なんてないという人もいるようだけど、夢を持たなくなったら男としては終わりだぜ。夢は持ち続けようぜ。そして、大いに夢は語ろうぜ。

ただし、夢を語る相手は妻。他人には語らない方がいい。バカにされるか(これも悲しいことだが)、上手くその夢を利用してやろうという悪党がいる。

夢ってさ、持ち続け、念じ続けていれば、実現することだったある。

出来れば、夫婦で同じ夢を持ち続ける事が出来れば最高だよな。

女性は現実主義だと言われるが、だからこそ、妻に自分の夢を語るんだよ。真剣に夢を語れば、その夢に一歩でも近づけるためにどうすればいいかを、女性はきちんと考える。

そう、男ってのはいつまで経っても子供。


旦那が夢を語りだした時は、お願いだから最後まで聞いてやって欲しい。鼻で笑ってバカにするんじゃなくて、真剣にその夢を聞いてやってくれ。

そして、その夢に一緒に乗ってやって欲しい。それが出来るのは妻だけだから。


毎年、沢山の日本からのお客様をご案内している俺。夫婦で観光に来る人も多い。

でもさ、車中では夫婦の会話がほとんどなく、妻が何かを話しても、旦那はまともに答えていない。旦那が何か言っても、妻は無視。多いよ、こういった夫婦。

何のために夫婦で観光しているの?って思うよね。

「夫婦の時間を楽しめよお前ら!!」って言いたくなるよな。


最近多いのは、旦那には何の発言権も決定権もないという夫婦。旦那は単なる荷物持ち、カメラマン。子連れの場合も、母と子の会話はあっても、父と子の会話はほとんどない。

子供までもが父親を無視っていう家族もある。

正直、こういった家族連れに出会うと、悲しくなるよ。

俺はこういった家族連れ、夫婦連れのお客様に出会った時は、予定外のコースを提案する。しかも、旦那に対して。行くか行かないかを決めてもらう。

そこで、旦那がどう反応するかだ。まあ、大抵は間髪入れず妻がしゃしゃり出てくる。

そして、結局は妻が全てを決める。旦那は黙ったまま。


一方、その逆で、旦那が全て仕切るというケースもある。妻は旦那の決めたことに黙って従っているだけというケース。これはこれで嫌だね。

お土産を買いたいというから、お店に連れて行っても、妻が「これいいわね」と手にした商品をまともに見ることもなく「あー、そんなの要らない」の一言で終わる旦那。

旅行に来てるんだぜ。楽しい旅行に。

例えばさ、花蓮だったら石が有名だよな。ヒスイやらバラ石やらが安価で購入出来る。

だったら、旅の記念に妻に、ネックレスかイヤリングかブレスぐらいは買ってやれよ。

妻が真剣な眼差しで見ている品物をさりげなく店員に言って出してもらい、それを、旦那自らが妻につけてやれよ。そして、似合っているなら買ってやれよ。

きっと妻の笑顔は、ヒスイやバラ石よりもはるかに美しく輝くはずだぜ。


そうだ!同年代のシニアオヤジ、妻にちゃんと「ありがとう」っていってるかい?

さりげない日常生活の中でも、旦那が妻に「ありがとう」って言うべき場面は多い。

どちらかと言えば、日常生活上では、妻が旦那に「ありがとう」という場面よりも、旦那が妻に「ありがとう」っていう場面の方が多いと思う。

感謝の気持ちは言葉に出さないと伝わらない。簡単なことじゃないか。お茶を入れてくれたら「ありがとう」だ。だってそうだろう。妻は俺たちのために、わざわざお茶を入れてくれたんだぜ。自分でも出来るはずの事を、妻がやってくれた。だったら「ありがとう」だろう。子供の時にそう教わったよな。

恋人同士の期間は「ありがとう」を連呼していたはずだぜ。忘れちゃいけない。感謝の言葉。とても大切な事だ。子供は見てるよ。常に見てるよ。


妻を世界一の宝石のように輝かせる事が出来るのは、夫の愛だけ。その事を忘れないで欲しい。